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平成二十六年 甲午歳 元朝大護摩祈祷

昨年に引き続き観音様・弘法大師・お不動様にお供えする餅つきを、12月31日21時頃から奉賛会を中心におこないました。お陰様で鏡餅もお供えし、無事新年をお迎えすることができました。毎年恒例になりました、招福雑煮もご接待することができました。楽しみにお参り下さる方も多く、嬉しく思います。



今年は思いの外、暖かい新年となり元朝ご祈祷も滞りなく厳修することができ安心いたしました。皆さま方も恙無く新年を迎えられた事と存じます。
まず、今年一年の安寧を願い、お参り下さる皆さま方のご多幸を祈念いたします。


思い通りになるのは、自分自身と未来と言います。後悔なく思うようにこの一年を送れるよう精進したいと思います。

H25 12月納観音 法話

 皆様こんにちは。早いもので今日が今年最後の十一面観音さまのご縁日となりました。
 今年の後半は、7年後のオリンピックが東京で開催決定となりその話題でもちきりとなりました。私たちの中では、お互いが手と手を繋ぎ人と人との絆を大切にする事は、人生誰であっても一人では生きていけないからです。人との和、手に手をとる輪を大切に、我々にとっても人生最後のオリンピックになるでしょう。生きていく楽しみの一つになるのかもしれませんね。
 今年一年、皆さまにとってどうでしたでしょうか。振り返って、反省ばかりではありませんが、新年を迎える心の準備として静かに自省する事も大切なのでは、と思います。
 ただただ長生きをして年を重ねるように見えても、1日1日を大切にすることでこの1年を無事に過ごす事が出来たのではないでしょうか。
 もう12月も終わりに近づき新しい年を迎えます。皆さんもそうだと思いますが、1年過ぎるのが早いですね。でも、子どもたちは違うようです。何故なのでしょうか。それは、20歳頃までは、社会性・勉強など新しい経験を毎年毎年積み重ねているからだと思うのです。30歳も過ぎれば、結婚をし子どもができ毎日・毎日が同じように過ぎていくと、変化のない毎日のように感じます。今までの経験を生かす事は出来ますが、さほど変わらない生き方をしています。また年と共に体の動きも鈍くなってきます。私たちの生きている風景も自分の周りで起きる事もがそれ程変わるわけでもなく、全く同じ時間でも経験の豊富さと不足で、1年の感じ方は違ってくるのかもしれません。
 しかし、私達にもそれぞれ頂いた命が平等にあります。これは自分なりに自分の事だけ考えて生きている人はいないわけですから、やはり来年はこういう生き方ができればいいとか、また、新たな自分の目標を持ち、自分の事だけでなく人の為に出来る事を行うことが大事なのではないかと思います。
また、生かされた経験というのを是非、子どもや孫に伝えてあげて頂きたいと思うのです。皆さまは、今まで生きて来られた学びの1つ1つを子や孫に伝える役割と責務を担っています。そのことも忘れずにいて頂きたいと強く感じます。
 この1年、皆様には献身にお参り頂いて1年を無事に過ごされ、12月の納観音にお参り頂いたことに感謝の気持ちで一杯です。病気をする事もありますがそれに対しても向かって頂き仲良くつきあっていく、というのも皆さま方の年齢にならないとできない技かもしれませんね。皆さま、1年間ご苦労さまでした。どうぞ、よいお年をお迎え下さい。

平成26年1月18日 初観音 11時大護摩祈祷修業 ぜんざいのご接待も致します。どうぞ、お参り下さい。

平成25年 11月18日 

11月18日(月)観音様 縁日  副住職法話

皆様こんにちは。随分と寒くなり、この時季、紅葉も見ごろになりました。
日本は四季がありますので、美しい紅葉に出会う秋を楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。季節の移ろいからも判るように、世の中は常に廻(めぐ)っています。何一つ留まる事はありません。私たちの体も然り、常に血液は循環し、よって私たちは生きているのです。経済も私たちが消費する事によりお金が循環し、世の中は潤っていきます。
 仏教の言葉に「諸行無常」という言葉があります。この世にあるすべての物事ははかないという意味です。ただ、滅びていく事ばかりが諸行無常ではなく、物事の一つ一つにはそれに伴う心の動きの喜怒哀楽があり、そこに生きている実感のようなものを感じる事ができるのです。世の中の全ての森羅万象は無常ではかないものだからその場に固定することなく常に動き、時と共に必ず変化していく。いつまでも若くありたいと願っても叶うことなく人は時間の流れと共に老いて、亡くなっていくのです。この時間的変化があるからこそ、今生きている時を大事に、限りある命を大事にしなければならないのです。
12月の初めの紅葉が一番きれいですね。自然の美しさをかみしめて味わうならば、当たり前と思わず、しみじみと感じ入り心に自然の有り難さを焼きつけたいものです。
早いもので、今年も1か月程で新しい年を迎えます。今年の冬は寒いと言われております。皆さまインフルエンザの注射も早めに打って風を引かないように大事になさって下さい。
来月12月は納観音です。今年最後になりますので是非お参り下さい。

平成25年12月18日(水) 11時 大護摩祈祷修業

神無月二十三夜会・夜会開催

先日よりお知らせしていました、二十三夜会を下記の通り開催します。

日時・・・11月25日(月)19時30分より 
場所・・・福石観音
会費・・・1,000円

女性の方でしたら、どなたでもご参加頂けます。
準備の都合がありますので、11月23日(土)までに、福石観音 ℡0956-31-8372 までご連絡よろしくお願いします。
当日は、神米おむすびの軽食付きです。
また、歌姫 桃さんによる音薬(おんやく)タイムもあり、晩秋の澄んだ空気の中、癒しの時間を楽しく過ごし頂けるのではないかと思っております。

二十三夜会

復活!二十三夜会

 「二十三夜講」は江戸時代から昭和初期まで続いていた月待ち信仰の1つで日本各地で行われていました。二十三夜の月は勢至菩薩(勢至菩薩は阿弥陀さまの脇侍を勤め知恵を司る仏様)の化身といわれ、二十三夜に勢至菩薩を拝めば万却の罪が滅すると言われ、安産祈願の信仰対象でもありました(不妊治療にもいいとか)。夜中に出る月に願をかけるため待っている間、女性たちが集まり飲食を共にし、生活の知恵となりそうな情報交換・地域の人々の縁を深める場でもあったようです。

    (第2回二十三会の写真です)
 
 福石観音には二十三夜塔が3基奉られています。今年4月3日より二十三夜の日に福石観音にて「二十三夜会」と称し、和の文化に親しみ、月暦と共に健康や生活の智恵の情報交換の場にしていきたいと思っています。
 
 第6回二十三会は、10月は27日(日)12時より開催致しました。
 今年、長崎の献上米に選ばれた、対馬・赤米神米を昔ながらの農法で作っていらっしゃる、主藤ご夫妻のお話は興味深く、神事を継承していく事の大変さ・ご苦労などを改めてお聞きする事ができました。奄美大島でも昔ながらの神事の復活の兆しなど、各地で昔ながらの行事を
 また、お茶の頂き方や、会を催す時の礼儀など、美味しく・楽しく学びました。
 何にしても、まずは自分の身の回りの掃除から!家の内外のゴミ・ほこりを掃除することは、心も掃き清め、整えていくことです。玄関の靴を揃える事は、心を揃えいろんな状況に対処できる準備をすることにもなります。全てが万事、一つできなければ、それ以上何も成し得る事はできないのです。判っていてできないのが、私たちですが、今日より明日、少しづつ成長するために二十三会でお話を聞けてよかったです。
 自然の恵みに感謝し、昔ながらの月暦を参考に月のリズムで暮らす事を楽しみ、お互い気配り・心配りできる女性に近づける場になると嬉しいですね。

 次回、第7回二十三会は11月25日(月)になっていますが、時間はまだ、未定です。
決まり次第、HPに載せたいと思います。会費1.000円で、誰でも参加可能です。
 ただし、いろんな会への悪質な勧誘・宣伝などは、固くお断りいたします。 

四万六千日祭お疲れ様でした。

 10月11日奉賛会・10月15日実行委員会の、反省・慰労会を行いました。


 今年は、例年になく暑い夏の四万六千日祭となりました。
 お天気には恵まれましたが、酷暑の中での準備・当日の運営となりましたが、実行委員会・奉賛会の皆様のお力添えのお蔭で無事終了致しました事、心より感謝申し上げます。
 来年度に向けて、良い反省会となりました。ありがとうございました。
 また、不況にもかかわらず四万六千日祭運営のため、ご浄財をお納め頂きました、有縁のご篤信の皆さま方のご信援に深く御礼申し上げます。

 四万六千日祭の時期になりますと、必ず心に浮かぶ弘法大師の言葉があります。
「物の興廃は必ず人に由る、人の昇沈は定めて道に在り」

物事が盛んになるか、廃れるかは必ず人が原因である。人が成功するか、失敗するかはそれを行う方法によって決まる。1200年経った今でも心に響き、常に心しておきたい言葉の1つです。
時代と共に、祭りの形は変わりますが、観音様との縁を結びご加護(信仰する事によって得られる大いなる力で加持力といいます)を頂く日、千日祭をこれからも継承していくため力を尽くしてまいります。本当にお疲れ様でした。

平成25年9月24日 彼岸法要

平成25年9月24日  彼岸法要法話(副住職)

皆さまこんにちは。
今年は9月20日から26日までがお彼岸になっています。この彼岸と言う言葉は、梵語のパーラミター(波羅蜜多)の漢訳で「到彼岸」迷いの世界から悟りの世界に到る、と言う意味です。私たちは寿命が尽きた後、仏様がいらっしゃる悟りの世界、彼岸に行くために、今生きている迷いの世界で仏様の教えを学び、実践(行動)しなければなりません。
その悟りへの道として、六波羅蜜と言う六つの教え、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵があります。では、今から六波羅蜜についてお話をしていきたいと思います。
1. 布施
・僧侶にお経を唱えていただいたお礼に金銭を包む。→財施
・僧侶が読経のあと説法を行う。→法施
・優しい言葉を掛け親切にする。→心施
心施で心しておかなければならない事があります。自分が相手に行う行為に対し、相手からの感謝の気持ちや言葉を期待したり、求めてはいけません。見返りのない行為が大切で、相手の為にしてあげたのではなく、させて頂いたと考え、その事に喜び、感謝を持つ心を忘れてはいけません。
2. 持戒
 戒めを守る事です。この世の中は規律を守る事が原則ですが、飲酒運転など未だになくならない、自分自身に戒めを持って律する事がとても大事です。正しい規律を守り正しい生活の中に知恵が生まれます。人の道を守るのが持戒です。
3. 忍辱
 耐える事です。どんな苦難・困難が降りかかろうとも、目の前の状況を受け入れ耐えることが必要です。お釈迦様は、黙せる者も非難され、多くを語る者も非難され、少し語る者も非難され、非難されない者はいない、とおっしゃっています。ただ非難されるだけの人間も、褒められるだけの人間もおりません。また、何か起きた時、誰かが助けてくれるわけでもなく、自分自身で乗り越えていかなければなりません。覚悟を決め、悠然と構え、前に進むために耐える事が必要なのです。
4. 精進
 努力する事。お釈迦様の最後の言葉も弟子に向けて、「怠らず最後まで修業に務めなさい。」で、ありました。怠らずに務めるとはとても難しい事です。我々はつい今日は止めて明日からしようと思ってしまうものです。ですが、「継続は力なり」と言います。日々の小さな努力を続ける事が大きな成果に繋がります。そういう努力を習慣化する事が大切な事だと思います。
5. 禅定
 心を落ち着ける事。心を落ち着かせるには呼吸を整える事が不可欠です。座禅を組んだり、瞑想を行う時には、まず呼吸を整えます。まず、口から体全部の空気を細くゆっくりと吐き切ります。頭からつま先までの空気を吐き切る事をイメージしながら吐き、今度は、頭からつま先まで新しい空気を入れ替えるイメージをしながら鼻から吸います。体の調子も整ってきます。

6. 知恵
 真理にもとづく考え方や生き方をする事である。仏様の知恵を学び、正しい言葉を使い、正しい行いをする事により、その知恵を身に付ける事ができます。しかし、たやすいことではありませんが、そうできるようにコツコツと努力を続けていく事が大切なのです。

お彼岸に法要を行うのは、諸説ありますが、昼夜等分の日である事から仏教の中道の教えにちなんで行われるようになりました。
お彼岸は、こうした仏教の教えを実践にうつすよう再認識する仏教週間であり、改めて先祖を供養し、今生かされている事に感謝を忘れず精進しなければなりません。
 私達人間は悩んだり苦しんだり、欲望にかられたり、人を妬んだり、いわゆる煩悩にとらわれ正しい事が見えなくなります。人生とは、辛い事、苦しい事をたくさん乗り越えなければなりません。お釈迦様も私たちと同じように悩み苦しんだからこそ、出家され、長い修行の後に、心に平穏が訪れる悟りの境地にたどり着かれたのです。今お話したことがいかにして生きるかという、正しい生き方を考えるきっかけになり、これからの生き方のヒントになれば幸いに思います。
 今年は100歳以上の方が5万人もいらっしゃるようですが、健康に長生きしたいものです。どうぞ、仏様の教えを実践しながら生を全うして頂く事を願っております。
 これから秋も深まり、食欲の秋になりますが、食べ過ぎには十分気を付けてお寺参りをして頂きたいと思います。

 彼岸法要が終わり、檀家の皆さまお疲れ様でした。手狭な昼食会場で申し訳ありません。粗食ではありますが、皆様、和やかにお食事いただきありがとうございました。

秋彼岸 ご開帳

お彼岸御開帳

連日お天気のいい日が続いています。今年は9月20日(金)~26日(木)までがお彼岸になっています。
お彼岸の期間中、十一面観音様の御開帳になっております。今日もたくさんの方がお参りなさっておりました。
残念ながら、写真は載せませんが期間中お参り頂き、お観音様とのご縁を頂かれて下さい。

平成25年9月18日 法話

 今年の夏は猛暑でしたが、やっと涼しさを感じる時季になりほっとしております。
 皆さん、それぞれ持病を持ってらっしゃると思いますが、私も節目を迎えるお祝い(還暦)が近くなり、遺伝的なのか、生活習慣から来るものか、持病とお付き合いしながら不摂生をしないように心掛けております。
 9月といえば、防災の日・敬老の日を思い浮かべます。9月1日は防災の日でした。東北大震災も復興途中でありますが、先日の千葉・栃木の竜巻・突風、18号台風による被害など、毎年新たな災害が起きています。
私は、長年京都に住んでおりましたが、テレビに映し出される映像を見て、嵐山・福知山にあれ程の災害が起きるとは予想だにしませんでした。昔から、「備えあれば、憂いなし」と言われますが、ここ近年、温暖化の影響か、自然の猛威になすすべがない状況を目の当たりにします。何をどのように備え、対処すれば避けられるのか、人間は自然の前では無力であると、この9月はつくづく感じさせられました。
 また、お年寄りを敬う、敬老の日も終わりました。今、敬老と言われる方たちは、戦前戦後の苦しい時代を生き抜いてこられた方が半数以上いらっしゃると思います。激動の時代を乗り越えて、現在でも健康に、または病気と上手にお付き合いしながら、90歳・100歳という長寿を迎えられています。我々は、今の平和な時代を築いて頂いたことに感謝をし、祝福してあげなければいけないと思います。
 長生きするばかりが人生ではないと、太く短くと考えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、長生きされるには理由があり、大正・昭和初期の方々は、粗食に耐え我慢する事を当たり前のように受け入れてこられ、生活習慣病の原因となる食生活にも気を配れる年代なのでしょう。我々は、飽食の車社会に生きており、一病息災はもちろんの事、健康は自分で守っていかなければならないとは判っておりますが、なかなか難しい事です。
 戦前・戦後の苦しい時代を生き抜いてこられ、敬老を迎えられた皆さま方の労をおねぎらいするのは敬老の日が一番です。それと併せて私が常日頃思いますのは、「実るほど頭の下がる稲穂かな」という句がありますが、文字通り花を咲かせた後は、実がみのり穂先が下がってくる。正に、我々が人生を生きていく上での道を表現している句だと思わずにはいられません。年を取っていくとともに人間的にも角がとれ丸くなるように努力する事が大事で、よく家族や近所付き合いの中で、お互いの挨拶がうまくいかないなどお聞きいたします。
人間は必ず死を迎えます。日々の生活の中では深く考えませんが、恨まれて亡くなる方、惜しまれ・偲ばれて亡くなる方と様々です。「あの方が亡くなってしまった。もう少し長生きして欲しかった。」と、言われるような亡くなり方を誰もが望んでいます。そういう最期を迎えるためには、周りへの感謝を忘れず、謙虚に生きていく事、角をそぎ落とし一日一日を大事に過ごしていくよう心掛ける事がいいのではないかと思うのです。私も、自分では気づかないのですが、眉間にしわを寄せ憮然としていると妻から言われる事があります。そのせいか、二人の娘からは、何となく敬遠されているように感じる事もあります。娘が成人すれば、この親子関係も変わるのではないかと期待をしつつ私自身も改めていかなければと思っています。お互い、笑顔で日常を送れるように努力は惜しまないようにしたいものです。
 自分の生きざまを家族に伝えるためには、年上の人が悟り、後姿や言葉・態度で教える事が肝心です。家庭の中の中心人物が手本を示し動くと円満になる。そういう家庭づくりの中で幸せな敬老に近づいて頂きたいと思います。もうすぐお彼岸になります。(9月20~26日)
此岸・・・この世
彼岸・・・浄土
此岸というこの世界で、家庭を振り返り、勤(いそ)しむ考えを持って行動していく事が大切な事ではないかと考えます。
実りの秋。今年は、野菜も高騰しておりますが、お百姓さんはそれ以上にご苦労なさっています。
暫くは秋のいい気候が続くと思いますが、いろんなことに思いを馳せながら感謝を忘れず、気持ちを整える心づくりをそれぞれ培って頂けることを願っています。

来月10月18日(金)11:00大護摩祈祷修業

平成25年8月18日 法話

8月18日 法話(抜粋)

今年も終戦の日・お盆を終え、新たに命のつながりについて考えずにはいられません。
戦争という1つの権力によって、作り上げられる思想によって忠義を誓い亡くなっていった方々、事故・病気など亡くなる理由は様々ですが、今、先祖の方々が私たちに何を望まれているのか。
我々が死んでいく時、何を残せるのかと考えます。自分を支えて下さる周りの方に手を差し伸べ、心を寄せていく、自分以外の人々に思いを寄せられるような心豊かな子どもたちを残していきたい。そう、思うのです。
 国内だけでなく外国にも目を向け、日本人も共に頑張り、命の交わりを深めていく。世界平和を思うと、先人達が、私たちに託されていることの1つになるのではないでしょうか。
 1年を考えると早いですが、1日1日の命は長く感じます。眠ったまま死んでいければ一番いいと思いますが、そうはいかないものです。生きている限りは、命というものは何だろうと考え続けるでしょう。人は死ぬまで一生懸命生きていけばいいのです。自分が生きる為だけの命ではなく、周りの人々にも目を向け愛情を注ぎ、慮る(おもんばか)事ができる、これがお観音様の教えであります。私たちがお参りしている姿を観て、「おまえにもこういう働きが出来る。」とおっしゃっているように感じます。私は本当にできているのか。と、思うこともありますが、常に謙虚に・感謝を忘れず生きていかなければと思っています。
 もうすぐお彼岸です。今年は暑い夏でしたのでだんだんと涼しくなればと思います。皆さまお大事にお過ごし下さい。

次回9月18日(水)11大護摩祈祷修業致します。