平成25年9月18日 法話

 今年の夏は猛暑でしたが、やっと涼しさを感じる時季になりほっとしております。
 皆さん、それぞれ持病を持ってらっしゃると思いますが、私も節目を迎えるお祝い(還暦)が近くなり、遺伝的なのか、生活習慣から来るものか、持病とお付き合いしながら不摂生をしないように心掛けております。
 9月といえば、防災の日・敬老の日を思い浮かべます。9月1日は防災の日でした。東北大震災も復興途中でありますが、先日の千葉・栃木の竜巻・突風、18号台風による被害など、毎年新たな災害が起きています。
私は、長年京都に住んでおりましたが、テレビに映し出される映像を見て、嵐山・福知山にあれ程の災害が起きるとは予想だにしませんでした。昔から、「備えあれば、憂いなし」と言われますが、ここ近年、温暖化の影響か、自然の猛威になすすべがない状況を目の当たりにします。何をどのように備え、対処すれば避けられるのか、人間は自然の前では無力であると、この9月はつくづく感じさせられました。
 また、お年寄りを敬う、敬老の日も終わりました。今、敬老と言われる方たちは、戦前戦後の苦しい時代を生き抜いてこられた方が半数以上いらっしゃると思います。激動の時代を乗り越えて、現在でも健康に、または病気と上手にお付き合いしながら、90歳・100歳という長寿を迎えられています。我々は、今の平和な時代を築いて頂いたことに感謝をし、祝福してあげなければいけないと思います。
 長生きするばかりが人生ではないと、太く短くと考えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、長生きされるには理由があり、大正・昭和初期の方々は、粗食に耐え我慢する事を当たり前のように受け入れてこられ、生活習慣病の原因となる食生活にも気を配れる年代なのでしょう。我々は、飽食の車社会に生きており、一病息災はもちろんの事、健康は自分で守っていかなければならないとは判っておりますが、なかなか難しい事です。
 戦前・戦後の苦しい時代を生き抜いてこられ、敬老を迎えられた皆さま方の労をおねぎらいするのは敬老の日が一番です。それと併せて私が常日頃思いますのは、「実るほど頭の下がる稲穂かな」という句がありますが、文字通り花を咲かせた後は、実がみのり穂先が下がってくる。正に、我々が人生を生きていく上での道を表現している句だと思わずにはいられません。年を取っていくとともに人間的にも角がとれ丸くなるように努力する事が大事で、よく家族や近所付き合いの中で、お互いの挨拶がうまくいかないなどお聞きいたします。
人間は必ず死を迎えます。日々の生活の中では深く考えませんが、恨まれて亡くなる方、惜しまれ・偲ばれて亡くなる方と様々です。「あの方が亡くなってしまった。もう少し長生きして欲しかった。」と、言われるような亡くなり方を誰もが望んでいます。そういう最期を迎えるためには、周りへの感謝を忘れず、謙虚に生きていく事、角をそぎ落とし一日一日を大事に過ごしていくよう心掛ける事がいいのではないかと思うのです。私も、自分では気づかないのですが、眉間にしわを寄せ憮然としていると妻から言われる事があります。そのせいか、二人の娘からは、何となく敬遠されているように感じる事もあります。娘が成人すれば、この親子関係も変わるのではないかと期待をしつつ私自身も改めていかなければと思っています。お互い、笑顔で日常を送れるように努力は惜しまないようにしたいものです。
 自分の生きざまを家族に伝えるためには、年上の人が悟り、後姿や言葉・態度で教える事が肝心です。家庭の中の中心人物が手本を示し動くと円満になる。そういう家庭づくりの中で幸せな敬老に近づいて頂きたいと思います。もうすぐお彼岸になります。(9月20~26日)
此岸・・・この世
彼岸・・・浄土
此岸というこの世界で、家庭を振り返り、勤(いそ)しむ考えを持って行動していく事が大切な事ではないかと考えます。
実りの秋。今年は、野菜も高騰しておりますが、お百姓さんはそれ以上にご苦労なさっています。
暫くは秋のいい気候が続くと思いますが、いろんなことに思いを馳せながら感謝を忘れず、気持ちを整える心づくりをそれぞれ培って頂けることを願っています。

来月10月18日(金)11:00大護摩祈祷修業