お彼岸御開帳
連日お天気のいい日が続いています。今年は9月20日(金)~26日(木)までがお彼岸になっています。
お彼岸の期間中、十一面観音様の御開帳になっております。今日もたくさんの方がお参りなさっておりました。
残念ながら、写真は載せませんが期間中お参り頂き、お観音様とのご縁を頂かれて下さい。
お彼岸御開帳
連日お天気のいい日が続いています。今年は9月20日(金)~26日(木)までがお彼岸になっています。
お彼岸の期間中、十一面観音様の御開帳になっております。今日もたくさんの方がお参りなさっておりました。
残念ながら、写真は載せませんが期間中お参り頂き、お観音様とのご縁を頂かれて下さい。
今年の夏は猛暑でしたが、やっと涼しさを感じる時季になりほっとしております。
皆さん、それぞれ持病を持ってらっしゃると思いますが、私も節目を迎えるお祝い(還暦)が近くなり、遺伝的なのか、生活習慣から来るものか、持病とお付き合いしながら不摂生をしないように心掛けております。
9月といえば、防災の日・敬老の日を思い浮かべます。9月1日は防災の日でした。東北大震災も復興途中でありますが、先日の千葉・栃木の竜巻・突風、18号台風による被害など、毎年新たな災害が起きています。
私は、長年京都に住んでおりましたが、テレビに映し出される映像を見て、嵐山・福知山にあれ程の災害が起きるとは予想だにしませんでした。昔から、「備えあれば、憂いなし」と言われますが、ここ近年、温暖化の影響か、自然の猛威になすすべがない状況を目の当たりにします。何をどのように備え、対処すれば避けられるのか、人間は自然の前では無力であると、この9月はつくづく感じさせられました。
また、お年寄りを敬う、敬老の日も終わりました。今、敬老と言われる方たちは、戦前戦後の苦しい時代を生き抜いてこられた方が半数以上いらっしゃると思います。激動の時代を乗り越えて、現在でも健康に、または病気と上手にお付き合いしながら、90歳・100歳という長寿を迎えられています。我々は、今の平和な時代を築いて頂いたことに感謝をし、祝福してあげなければいけないと思います。
長生きするばかりが人生ではないと、太く短くと考えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、長生きされるには理由があり、大正・昭和初期の方々は、粗食に耐え我慢する事を当たり前のように受け入れてこられ、生活習慣病の原因となる食生活にも気を配れる年代なのでしょう。我々は、飽食の車社会に生きており、一病息災はもちろんの事、健康は自分で守っていかなければならないとは判っておりますが、なかなか難しい事です。
戦前・戦後の苦しい時代を生き抜いてこられ、敬老を迎えられた皆さま方の労をおねぎらいするのは敬老の日が一番です。それと併せて私が常日頃思いますのは、「実るほど頭の下がる稲穂かな」という句がありますが、文字通り花を咲かせた後は、実がみのり穂先が下がってくる。正に、我々が人生を生きていく上での道を表現している句だと思わずにはいられません。年を取っていくとともに人間的にも角がとれ丸くなるように努力する事が大事で、よく家族や近所付き合いの中で、お互いの挨拶がうまくいかないなどお聞きいたします。
人間は必ず死を迎えます。日々の生活の中では深く考えませんが、恨まれて亡くなる方、惜しまれ・偲ばれて亡くなる方と様々です。「あの方が亡くなってしまった。もう少し長生きして欲しかった。」と、言われるような亡くなり方を誰もが望んでいます。そういう最期を迎えるためには、周りへの感謝を忘れず、謙虚に生きていく事、角をそぎ落とし一日一日を大事に過ごしていくよう心掛ける事がいいのではないかと思うのです。私も、自分では気づかないのですが、眉間にしわを寄せ憮然としていると妻から言われる事があります。そのせいか、二人の娘からは、何となく敬遠されているように感じる事もあります。娘が成人すれば、この親子関係も変わるのではないかと期待をしつつ私自身も改めていかなければと思っています。お互い、笑顔で日常を送れるように努力は惜しまないようにしたいものです。
自分の生きざまを家族に伝えるためには、年上の人が悟り、後姿や言葉・態度で教える事が肝心です。家庭の中の中心人物が手本を示し動くと円満になる。そういう家庭づくりの中で幸せな敬老に近づいて頂きたいと思います。もうすぐお彼岸になります。(9月20~26日)
此岸・・・この世
彼岸・・・浄土
此岸というこの世界で、家庭を振り返り、勤(いそ)しむ考えを持って行動していく事が大切な事ではないかと考えます。
実りの秋。今年は、野菜も高騰しておりますが、お百姓さんはそれ以上にご苦労なさっています。
暫くは秋のいい気候が続くと思いますが、いろんなことに思いを馳せながら感謝を忘れず、気持ちを整える心づくりをそれぞれ培って頂けることを願っています。
来月10月18日(金)11:00大護摩祈祷修業
8月18日 法話(抜粋)
今年も終戦の日・お盆を終え、新たに命のつながりについて考えずにはいられません。
戦争という1つの権力によって、作り上げられる思想によって忠義を誓い亡くなっていった方々、事故・病気など亡くなる理由は様々ですが、今、先祖の方々が私たちに何を望まれているのか。
我々が死んでいく時、何を残せるのかと考えます。自分を支えて下さる周りの方に手を差し伸べ、心を寄せていく、自分以外の人々に思いを寄せられるような心豊かな子どもたちを残していきたい。そう、思うのです。
国内だけでなく外国にも目を向け、日本人も共に頑張り、命の交わりを深めていく。世界平和を思うと、先人達が、私たちに託されていることの1つになるのではないでしょうか。
1年を考えると早いですが、1日1日の命は長く感じます。眠ったまま死んでいければ一番いいと思いますが、そうはいかないものです。生きている限りは、命というものは何だろうと考え続けるでしょう。人は死ぬまで一生懸命生きていけばいいのです。自分が生きる為だけの命ではなく、周りの人々にも目を向け愛情を注ぎ、慮る(おもんばか)事ができる、これがお観音様の教えであります。私たちがお参りしている姿を観て、「おまえにもこういう働きが出来る。」とおっしゃっているように感じます。私は本当にできているのか。と、思うこともありますが、常に謙虚に・感謝を忘れず生きていかなければと思っています。
もうすぐお彼岸です。今年は暑い夏でしたのでだんだんと涼しくなればと思います。皆さまお大事にお過ごし下さい。
次回9月18日(水)11大護摩祈祷修業致します。
H25 お盆
お墓参り・お寺参りが終わるといよいよ、自宅でのお精霊さまのお迎えの準備になります。
仏様を奉ってある家庭では、先祖が帰って来られる時の目印に盆提灯をともします。

昔から言われるように、13日は十三仏にちなみ13個の迎えだんごを用意したり。お盆の間は家族と同様に、1日3回、仏壇か精霊棚に精進の霊供膳を用意すると言われ何かと慌ただしくなります。


お盆明けには、再び先祖の霊を送る道しるべとして送り火を灯します。昔ながらの先祖を敬う、いい風習です。どんなに忙しくてもご先祖さまの好物・お花などお供えも忘れないように、1日一度でもいいので霊供膳を用意し、今生かされているこ事の有り難さを謙虚に受け止める機会としたいものです。
H25 四万六千日祭
お陰様でお天気にも恵まれ、今年度の四万六千日祭も無事終了いたしました。

本堂では、十一面観音さまが御開帳され、3日間とも20時より大護摩祈祷を厳修致しました。参拝なさった方もお観音さまからご縁を頂かれた事と思います。

また、8日、19時30分より、本堂に於いて東京西部教区 寶性寺 上田 浩憲僧正よりご法話をいただきました。仏様の御加護を頂くにはどうすればよいのかなど、判りやすいご法話で皆さま熱心に拝聴なさってました。
ステージでのイベントは、初日8日は、ダンスショー・カキ氷早食い競争・ウクレレライブ・ペアでチャレンジゲーム.

なか日、9日はがんばらんば体操・よさこい演舞・カラオケ・音楽ライブ、

最終日10日は、ダンスショー・鉄人渡来アスロンゲーム・マーチング演奏・ちびっ子浴衣コンテスト・子供俳句受賞者発表などなど。
屋台だけでなく、公民館長さん方や有志の方の出店などが並びとても賑わいました。

賑やかな祭りの後、夜店の片づけも終わり静けさが訪れた境内・参道を照らす灯篭。祭りの賑やかさとは相反する風情ですが、この幽玄な境内も祭りの時にしか出会えない心安らかな時間です。
準備から当日の運営など四万六千日祭実行委員・奉賛会の方々、酷暑の中大変ありがとうございました。
平成25年8月8日
布教師:東京西部教区
寶性寺 上田 浩憲僧正
H25年度 四万六千日祭 法話

皆さまこんばんは。ようこそお参り頂きまして誠にご苦労さまでございます。今夜20時より大護摩 奉修になっておりますが、その前に、生きる事の参考になればと思いお話をさせて頂きます。
この福石山 清岩寺の四万六千日祭の行事は100年ほど続いているとお聞きしました。
100年間、毎年続けることは素晴らしい、続けることの大切さ、しかしながら困難さも判ります。
私も宗教者として、僧として、1000回以上の行を行います。行とは何をおこなうのか。観音様お不動様にお参りする時にはご真言をお唱えしますが、行をおこなっている時は
朝は4:30に起きて、お参りします。昼食の後そして、夕方お参りして夜は、8:00頃に
はやすみます。この1日、3回のお参りは、仏様のご真言を数珠を使い(数えなくてもわか
る)108回お唱えします。108回お唱えすることもあれば、1080回唱えることもあります。
今から40年程前の真冬の極寒の中、東京の八王子の高尾山の山頂近くのお堂で行を行っておりました。私の先生はとても厳しい方だったので、行者は表に雪が積もっていても、どんなに寒くても白衣の下に長袖は着るな。といわれてました。蛍光灯が30W2つの薄暗い中、夜になり音が聞こえるのはムササビの鳴き声や夜行動物の声です。そういう環境の 中で一心にご真言を唱え毎日数時間にらめっこをするようにご本尊様、仏様と一緒に会話をします。
行と言うのは、動く行や・静かな行があり、動く行は、観音様のご真言を唱え床に頭をこすりつけ、もう一度立ちご真言を唱えて、というようにこの動作を108回行います。
1日3回、108回ずつ続けると畳に当たる肘の部分が擦れてしまいます。ある時、修行をしていた私は、先生のお坊さんに、「肘を見せてみろ。肘に傷がないではないか。真剣に行えば傷が出来て当たり前ではないか。」と、意地の悪いお坊さんだとその時は思ったのですが、その方のおかげで今こうして皆さんともお会いできるご縁に巡り合えましたし、こんなお話(偉そうに申し上げてるつもりはございませんが)もする事が出来、今となっては、真冬の行といったものも良い経験になったと思うのです。
私たちは普段いろいろなお経を唱えます。皆さんにとって判りやすいお経もあれば、何を言っているのか判らないようなお経もあります。
僧侶の私たちが唱えるお経の中で「懺悔の文」というお経があります。
「我(が)昔所造(しゃくしょぞう)諸悪業(しょあくごう) 皆(かい)由無始貧瞋癡(ゆむしとんじんち) 従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう) 一切(いっさい)我(が)今(こん)皆(かい)懺悔(ざんげ)」このお経の中には、人生のいろはが凝縮されているのです。私たちの日頃の行いが、あるいは何気なく発した言葉が、相手に対してダメージを与え、傷つける事になっているかもしれません。
今、好意で行った事が逆の結果になり相手が苦しんでいるかもしれない。そういった事をちゃんと考えた上で言葉を吐きのたまう。様々な形でを認めましょう。と、言うのが「懺悔の文」というお経なのです。私もいろいろな事について悩む事もあれば苦しむ事もあります。この世の中に苦しまない人などいません。また、悩み事がない人もいません。悩みがあるからこそ、苦しみがあり、また楽しみもあります。悩みや、苦しみを克服する時にこそ、努力をしようというガッツというものも生まれてくるのです。生きていくということは、様々な迷い・苦しみの連続です。自分だけが、苦労している訳ではなく、自分よりも、もっともっと辛い思いをして、苦労して苦労を重ねている人もいます。私自身も自分が色んな場面でとる行動や、発した言葉を振り返り、恥ずかしいなと思い、つらつらと反省をいたします。迷いもあり、その度に軌道修正しないといけないと反省するのです。
そういう時は、今日は朝からお経をお唱えしよう。と、一生懸命仏様に向かって自問自答しながら、仏様に対して心から帰依します。帰依するだけでなく、仏様の前でお誓いをする、というようにいたしております。
今日の四万六千日祭の行事のサブタイトルには、「真実に生きる」とポスターに書いてございました。すべてを真実に生きると言うことは、とても大切な事なのです。自分は正しいと思ってした事も相手にとっては、ちゃんとみてくれたのか、ダメだったのか、うまく伝わらない時もあります。様々な活動において、自らの行動を反省し、自問自答をしながら、こういうことを自分は間違っていたのかと気付くことにより、もう一歩悟りの世界に近づくのではないかなと思います。
今、はやりの言葉で「今でしょう」という言葉が使われています。何をやるのですか。今、あなたはこのチャンスを逃しては何もできません。と言う意味で「今でしょう」と、言う事だと思います。私は、正に明日やろう、明後日やろう、一週間後にやろう、ましてや、そのうちやろうなどと思った時には、知らず知らずの間に、初志貫徹も出来ずに、「いつかそのうち」と言っているうちにすでに、30日、半年もったってしまいます。今、自分がやらなければ、その発心は自らの是で第一歩を踏み出す事などできません。その一歩を踏み出す事の大切さを自覚しない限り、何も進展しないという現実的な結果にもなります。
今、富士山が世界遺産に登録されました。もともと、富士山というのは、信仰の山で、私たちも今から40年近くなりますけれども、白装束で右手に杖を突き、「六根清浄、懺悔・懺悔の六根清浄」と、掛け声を掛けながら、ひたすら山頂を目指し登っていきました。登山ではなく山頂近くに奉ってある仏様・神様の所に登拝修行のため登っていくのです。掛け声の「懺悔」は、自分のいろいろな行いについて悔い改める。懺悔・懺悔と繰り返すのは反省というものは大切なものであり、反省だけではなくてもっとしっかりと考えたうえで、今一歩を踏み出し、足元を見つめ、まっすぐに生きていく事が大事なのです。新しい世界に挑むため悔い改める事が、正に懺悔です。
次に、六根清浄と言うのは、目・耳・鼻・口・舌・皮膚、そうしたものを司る感覚によってすべての人間の深い部分を清め、本来の目的に向かって精進をしましょう。と言うことです。
皆さんが良く使われる言葉の中に「どっこいしょ」という言葉がありますがその、「六根清浄」が語源になっているとも言われています。普段の生活の中にしっかりと仏教の考え方、教えというものが息づいていると言うことだと思います。

この後、奉修されます十一面観世音菩薩さまのご宝殿における大護摩供。お堂の内陣、中央の炉には護摩木が組まれています。この炉は観音様です。その観音様にいろんなお供物(大豆・小豆・麦・胡麻)をさし上げ、護摩木を火に捧げ、その火の浄化で悩み苦しみというものを清め(観音様が全てを引き受けてくださり)尊い正しい因縁と結びつきましょうというご祈祷がこれから行われます。平素、ご信心の観音様のご加護を存分に頂く為には、ただお護摩の様子を眺めているだけではなく、「南無観世音菩薩」と唱え一心におすがりをし、また日常の生活の中ではできる限り精進・努力をすると、観音様がお通しをして下さる。手をさしのべて下さいます。観音経というお経の中に「念(ねん)彼(ぴ)観音力(かんのんりき)」という文言がたくさんでてきます。観音様はこれほど絶大なるお力を持っている。皆さんも精進・努力して念願の願いの成就が出来ますように観音様どうかお力をお貸しください。その為には、やはりただここに座っているだけではなくてお坊様がお唱えをするお経に合わせ心の中では私はひたすら観音様におすがりします。これから新たに努力を致します。と一心にお誓いし、口に出して「念(ねん)彼(ぴ)観音力(かんのんりき)」と唱え、また一定の努力をすることで新たなご利益が必ず頂けるはずです。これから、観音様にちなんだ作法の中で当山のご住職が導師をお勤め頂きまして祈願をいたします。護摩木というのは色々なお願いごとを書きます。十人それぞれの願いがあるように、また祈りがあるのです。その祈りを大護摩供により浄化な火で焼き清め新しいスタートに持っていっていただく、悪い縁は断ち切り、良い縁は導いていただき、皆さま方に観音様との縁(えにし)・叡智をまたより深くお持ちいただきまして観音様の前で自分なりに心を入れ替え、努力をしますという御誓いができれば今日のお詣りで大きなご加護というお土産をいただけると思います。「果報は寝て待て」ではありません。自分の平素の行いによって観音様から正しい力をいただき、そして精進・努力します。というお誓いをしていただくだけでも観音様の御宝殿だけにご利益がございます。

また、ご利益をいただく為に3つの働きがあります。
1つは、観音様の絶大なるお力。
2つ目、観音様を前に心を1つにして祈るお坊さまの読経の声。
3つ目、皆さん方の平素の努力
というものが合わさり初めてご利益が生まれるのです。私だって迷います。常日頃悩みもございます。でも、色々な悩み苦しみを抱え仏様と向き合いながら、一心にお経をお唱えすると不思議に心が軽くなるのです。これが、私の体験談ということでどうか、せっかくの100年以上続いている行である、四万六千日祭。皆さま、たくさんのご加護を観音さまからいただいて、今日お参りしてよかったと、そんな日にしていただければと思います。
本日は、お暑い中お参りいただきましてご苦労様でございました。今から、暑い加行、大護摩厳修いたします。どうか、一心にご祈念をいただきまして、よりたくさんのご加護を頂きますようお祈り申し上げます。大変ご無礼いたしました。
お参りをする時・その前の心構えや、姿勢。また、日頃時間に追われ、あまり気に留めていなかった自分自身の心の持ち方や、相手への配慮の仕方など、とても判りやすく、拝聴させていただきました。
十一面観音様の御開帳に合わせ、心に響く有り難いご法話をありがとうございました。
猛暑の中、遠路東京よりご出仕いただきました事、心より感謝申し上げます。

今年度は、看板を新しく作りました。

四万六千日祭は、信仰が中心となり、8/8・9・10の3日間の期間に参拝すれば、四万六千日(一生毎日)お参りしたものと同じように功徳が頂ける、観音さまとのご縁を結ぶお祭りです。最近は、パワースポットなどという言葉が一人歩きしているように感じますが、どうぞ、心静かにお参りなさって下さい。神社仏閣は、お参りすれば願いが叶う所ではありません。自分自身が謙虚になり、今までの行いを自省することにより、新たに進むべき方向が明らかになるのではないかと思います。

1300年前には、高僧 行基が、この地で十一面観音様を彫り安置なさいました。100年後の1200年前には、行基の足跡を辿り、
弘法大師 空海が庵を結び清岩寺と寺号をつけ、暫し瞑想したという座禅岩もあります。
先人が歩いた同じ地を歩き、それぞれ何かを感じていただける事を願っています。
法話は、8日だけとなっていますが、3日間とも20時より大護摩祈祷(真言密教)が修業されます。どうぞ、本堂に入りお観音さまからのご縁を頂かれて下さい。
京都・滋賀を中心に大阪・奈良の近畿圏で放送されている、「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」毎週月~金の朝6:30~10:00までの生放送に来週7月29日(月)8:10頃、電話で生出演することになりました。
生出演するコーナーは、「あっちこっち ほっかほかだより」で、日本全国各地にスポットを当てて様々な話題をお届けするコーナーです。今回は8月に開催される夏祭りについての放送になります。福石観音で毎年8月8日~10日まで開催されます四万六千日祭について、開催の概要やイベント情報などをお話しする予定です。
福石観音清岩寺は真言宗のお寺で、本山は京都東山七条にある智積院(ちしゃくいん)です。今回の、京都AMラジオ生出演、とても楽しみにしています。
毎月18日は観音様のご縁日になります。当山では午前11時より大護摩祈祷が始まり、12時頃から住職の法話となります。以下、法話の抜粋です。
一年の中で一番暑い7・8月、先祖供養の時期になりました。
全国の寺院で、7・8月に行われるのが施餓鬼供養です。奥の深い、私たちの心の在り方に繋がってくる供養になります。お釈迦様の10代弟子の中の目連尊者は、お釈迦様に長年仕える強い神通力を持った方でした。ある日夢の中で、このままだと餓鬼道に堕ちてしまうと言われ、お釈迦様にお尋ねしたところ、いろんな食べ物を施しながらたくさんの餓鬼の供養をしなさいと言われ、言われる通りに餓鬼の供養を行いました。
その時お釈迦様が、目連に授けた教えがほかならないこの施餓鬼の法となっているのです。 自分の先祖だけでなく、供養されず彷徨っている餓鬼までも救う心持ちが、自分自身を救うということになるのです。
もう一つ、身近な先祖だけでなく命の根源となる先祖までお迎えするのがお盆です。
沖縄では、家族全員がお墓に集まり、食事をし、歌ったり、踊ったり、賑やかに先祖の帰りをお迎えします。よく盆踊りと言いますが、先祖を喜んでお迎えする、また、秋の豊作を祈る為始まったと言われるように、自然の恵みに感謝すると同時に、大切な方が亡くなった今でも、家族皆で寄り添い前を向いて明るく一生懸命生きていますという気持ちを形に表しているのです。
また、先祖を大切にする仏教的な習慣・文化として、お釈迦様のお誕生日の花祭りもありますが、日本人はクリスマスに重きを置き、仏教の教えを説いたお釈迦様の花祭りには関心を示さない方も多いようですが、仏さま・先祖に感謝する日本人特有のいにしえぶり、文化の継承を忘れてはならないと思っています。感謝、感謝と言葉では言っても、心・体で相手にお伝えするのはとても難しい事です。相手が生きている間に伝える事ができれば、何の悔いも残りませんが、伝える事ができなくても、忘れず精一杯日々を過ごし生きていく事が、亡くなった方へ感謝を伝える追善供養となるのです。
来月始まる四万六千日祭は、8月8日~10日までの縁日にお詣りすればお観音様のご利益を頂ける、これも日本に根付いた文化と言えます。
観音霊場は全国どこに行ってもお詣りできます。実は、観音様と私たちはとても近い所にあり、未熟な私達を救うため、姿・形を変えて、悩んでいる人々をお救いくださる観音様の慈悲、大慈悲であり今でも観音信仰と言われ、人々の信仰を集めています。
7・8月には、地蔵盆もあります。若くして亡くなる方や、生まれてすぐ亡くなる赤ちゃんも多かった事から、子を慈しむ母の心がお地蔵様を奉り、地蔵信仰を日本各地に広め現在に至っているのです。こういう事を深く考えお参りすることは少ないと思いますが、7・8月というご先祖さまに一番近い時期を迎え、新たな気持ちでお精霊さま、ご先祖さまを一緒にお迎えして頂きたいと思います。
皆様は、毎日がご先祖様とのおつきあいかもしれませんが、普段の生活の中では、ご家族の皆さんと亡くなった方へ向かう気持ちを話し合うということもないでしょう。お盆の時は、ご家族が自宅へ帰りお揃いになる。そういう時こそ、お互い先祖への思いを言葉にし、懐かしい思いを寄せてあげることが、亡くなった方が喜ぶ事で供養になり、だからこそ我々が忘れることなく迎えてあげる準備をするお盆の行事も、子々孫々へ伝えなければならない大事な仏教徒の文化であるのです。
8月17,18日に行われます、京都の大文字焼きの送り火は、奈良・平安の時代から亡くなった方が迷わないように火を使いご供養する形であります。
迷わず自宅へ帰るように灯篭に灯りをともし、灯篭の下には、手を洗う水とタオルを用意しご先祖さまをお迎えする。御仏壇には、自宅へは早く帰り、西方浄土へは遅く戻るように、と野菜のなす、キュウリをお供えする等、日本各地に今でも根付いている風習もあります。
今年はそういう思いの中にご先祖さまをお迎え頂きたいと思っています。
過去を振り返り、現在を見つめ、今は亡き精霊に供養を尽くすことが、人を思いやる事のできる自己の完成に繋がるのではないでしょうか。
今年の夏は殊の外、蒸し暑い日々が続いております。熱中症などに掛からないよう、くれぐれもご自愛下さい。