四万六千日祭 ご法話

平成25年8月8日
布教師:東京西部教区
寶性寺 上田 浩憲僧正

H25年度 四万六千日祭 法話


 皆さまこんばんは。ようこそお参り頂きまして誠にご苦労さまでございます。今夜20時より大護摩 奉修になっておりますが、その前に、生きる事の参考になればと思いお話をさせて頂きます。
 この福石山 清岩寺の四万六千日祭の行事は100年ほど続いているとお聞きしました。
 100年間、毎年続けることは素晴らしい、続けることの大切さ、しかしながら困難さも判ります。
 私も宗教者として、僧として、1000回以上の行を行います。行とは何をおこなうのか。観音様お不動様にお参りする時にはご真言をお唱えしますが、行をおこなっている時は
朝は4:30に起きて、お参りします。昼食の後そして、夕方お参りして夜は、8:00頃に
はやすみます。この1日、3回のお参りは、仏様のご真言を数珠を使い(数えなくてもわか
る)108回お唱えします。108回お唱えすることもあれば、1080回唱えることもあります。
 今から40年程前の真冬の極寒の中、東京の八王子の高尾山の山頂近くのお堂で行を行っておりました。私の先生はとても厳しい方だったので、行者は表に雪が積もっていても、どんなに寒くても白衣の下に長袖は着るな。といわれてました。蛍光灯が30W2つの薄暗い中、夜になり音が聞こえるのはムササビの鳴き声や夜行動物の声です。そういう環境の    中で一心にご真言を唱え毎日数時間にらめっこをするようにご本尊様、仏様と一緒に会話をします。
行と言うのは、動く行や・静かな行があり、動く行は、観音様のご真言を唱え床に頭をこすりつけ、もう一度立ちご真言を唱えて、というようにこの動作を108回行います。
1日3回、108回ずつ続けると畳に当たる肘の部分が擦れてしまいます。ある時、修行をしていた私は、先生のお坊さんに、「肘を見せてみろ。肘に傷がないではないか。真剣に行えば傷が出来て当たり前ではないか。」と、意地の悪いお坊さんだとその時は思ったのですが、その方のおかげで今こうして皆さんともお会いできるご縁に巡り合えましたし、こんなお話(偉そうに申し上げてるつもりはございませんが)もする事が出来、今となっては、真冬の行といったものも良い経験になったと思うのです。
私たちは普段いろいろなお経を唱えます。皆さんにとって判りやすいお経もあれば、何を言っているのか判らないようなお経もあります。
僧侶の私たちが唱えるお経の中で「懺悔の文」というお経があります。
「我(が)昔所造(しゃくしょぞう)諸悪業(しょあくごう) 皆(かい)由無始貧瞋癡(ゆむしとんじんち) 従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう) 一切(いっさい)我(が)今(こん)皆(かい)懺悔(ざんげ)」このお経の中には、人生のいろはが凝縮されているのです。私たちの日頃の行いが、あるいは何気なく発した言葉が、相手に対してダメージを与え、傷つける事になっているかもしれません。
今、好意で行った事が逆の結果になり相手が苦しんでいるかもしれない。そういった事をちゃんと考えた上で言葉を吐きのたまう。様々な形でを認めましょう。と、言うのが「懺悔の文」というお経なのです。私もいろいろな事について悩む事もあれば苦しむ事もあります。この世の中に苦しまない人などいません。また、悩み事がない人もいません。悩みがあるからこそ、苦しみがあり、また楽しみもあります。悩みや、苦しみを克服する時にこそ、努力をしようというガッツというものも生まれてくるのです。生きていくということは、様々な迷い・苦しみの連続です。自分だけが、苦労している訳ではなく、自分よりも、もっともっと辛い思いをして、苦労して苦労を重ねている人もいます。私自身も自分が色んな場面でとる行動や、発した言葉を振り返り、恥ずかしいなと思い、つらつらと反省をいたします。迷いもあり、その度に軌道修正しないといけないと反省するのです。
そういう時は、今日は朝からお経をお唱えしよう。と、一生懸命仏様に向かって自問自答しながら、仏様に対して心から帰依します。帰依するだけでなく、仏様の前でお誓いをする、というようにいたしております。
今日の四万六千日祭の行事のサブタイトルには、「真実に生きる」とポスターに書いてございました。すべてを真実に生きると言うことは、とても大切な事なのです。自分は正しいと思ってした事も相手にとっては、ちゃんとみてくれたのか、ダメだったのか、うまく伝わらない時もあります。様々な活動において、自らの行動を反省し、自問自答をしながら、こういうことを自分は間違っていたのかと気付くことにより、もう一歩悟りの世界に近づくのではないかなと思います。
今、はやりの言葉で「今でしょう」という言葉が使われています。何をやるのですか。今、あなたはこのチャンスを逃しては何もできません。と言う意味で「今でしょう」と、言う事だと思います。私は、正に明日やろう、明後日やろう、一週間後にやろう、ましてや、そのうちやろうなどと思った時には、知らず知らずの間に、初志貫徹も出来ずに、「いつかそのうち」と言っているうちにすでに、30日、半年もったってしまいます。今、自分がやらなければ、その発心は自らの是で第一歩を踏み出す事などできません。その一歩を踏み出す事の大切さを自覚しない限り、何も進展しないという現実的な結果にもなります。
今、富士山が世界遺産に登録されました。もともと、富士山というのは、信仰の山で、私たちも今から40年近くなりますけれども、白装束で右手に杖を突き、「六根清浄、懺悔・懺悔の六根清浄」と、掛け声を掛けながら、ひたすら山頂を目指し登っていきました。登山ではなく山頂近くに奉ってある仏様・神様の所に登拝修行のため登っていくのです。掛け声の「懺悔」は、自分のいろいろな行いについて悔い改める。懺悔・懺悔と繰り返すのは反省というものは大切なものであり、反省だけではなくてもっとしっかりと考えたうえで、今一歩を踏み出し、足元を見つめ、まっすぐに生きていく事が大事なのです。新しい世界に挑むため悔い改める事が、正に懺悔です。
次に、六根清浄と言うのは、目・耳・鼻・口・舌・皮膚、そうしたものを司る感覚によってすべての人間の深い部分を清め、本来の目的に向かって精進をしましょう。と言うことです。
皆さんが良く使われる言葉の中に「どっこいしょ」という言葉がありますがその、「六根清浄」が語源になっているとも言われています。普段の生活の中にしっかりと仏教の考え方、教えというものが息づいていると言うことだと思います。

この後、奉修されます十一面観世音菩薩さまのご宝殿における大護摩供。お堂の内陣、中央の炉には護摩木が組まれています。この炉は観音様です。その観音様にいろんなお供物(大豆・小豆・麦・胡麻)をさし上げ、護摩木を火に捧げ、その火の浄化で悩み苦しみというものを清め(観音様が全てを引き受けてくださり)尊い正しい因縁と結びつきましょうというご祈祷がこれから行われます。平素、ご信心の観音様のご加護を存分に頂く為には、ただお護摩の様子を眺めているだけではなく、「南無観世音菩薩」と唱え一心におすがりをし、また日常の生活の中ではできる限り精進・努力をすると、観音様がお通しをして下さる。手をさしのべて下さいます。観音経というお経の中に「念(ねん)彼(ぴ)観音力(かんのんりき)」という文言がたくさんでてきます。観音様はこれほど絶大なるお力を持っている。皆さんも精進・努力して念願の願いの成就が出来ますように観音様どうかお力をお貸しください。その為には、やはりただここに座っているだけではなくてお坊様がお唱えをするお経に合わせ心の中では私はひたすら観音様におすがりします。これから新たに努力を致します。と一心にお誓いし、口に出して「念(ねん)彼(ぴ)観音力(かんのんりき)」と唱え、また一定の努力をすることで新たなご利益が必ず頂けるはずです。これから、観音様にちなんだ作法の中で当山のご住職が導師をお勤め頂きまして祈願をいたします。護摩木というのは色々なお願いごとを書きます。十人それぞれの願いがあるように、また祈りがあるのです。その祈りを大護摩供により浄化な火で焼き清め新しいスタートに持っていっていただく、悪い縁は断ち切り、良い縁は導いていただき、皆さま方に観音様との縁(えにし)・叡智をまたより深くお持ちいただきまして観音様の前で自分なりに心を入れ替え、努力をしますという御誓いができれば今日のお詣りで大きなご加護というお土産をいただけると思います。「果報は寝て待て」ではありません。自分の平素の行いによって観音様から正しい力をいただき、そして精進・努力します。というお誓いをしていただくだけでも観音様の御宝殿だけにご利益がございます。

また、ご利益をいただく為に3つの働きがあります。
1つは、観音様の絶大なるお力。
2つ目、観音様を前に心を1つにして祈るお坊さまの読経の声。
3つ目、皆さん方の平素の努力
というものが合わさり初めてご利益が生まれるのです。私だって迷います。常日頃悩みもございます。でも、色々な悩み苦しみを抱え仏様と向き合いながら、一心にお経をお唱えすると不思議に心が軽くなるのです。これが、私の体験談ということでどうか、せっかくの100年以上続いている行である、四万六千日祭。皆さま、たくさんのご加護を観音さまからいただいて、今日お参りしてよかったと、そんな日にしていただければと思います。
本日は、お暑い中お参りいただきましてご苦労様でございました。今から、暑い加行、大護摩厳修いたします。どうか、一心にご祈念をいただきまして、よりたくさんのご加護を頂きますようお祈り申し上げます。大変ご無礼いたしました。

お参りをする時・その前の心構えや、姿勢。また、日頃時間に追われ、あまり気に留めていなかった自分自身の心の持ち方や、相手への配慮の仕方など、とても判りやすく、拝聴させていただきました。
十一面観音様の御開帳に合わせ、心に響く有り難いご法話をありがとうございました。
猛暑の中、遠路東京よりご出仕いただきました事、心より感謝申し上げます。