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お盆のしきたり

H25 お盆

 お墓参り・お寺参りが終わるといよいよ、自宅でのお精霊さまのお迎えの準備になります。
仏様を奉ってある家庭では、先祖が帰って来られる時の目印に盆提灯をともします。

昔から言われるように、13日は十三仏にちなみ13個の迎えだんごを用意したり。お盆の間は家族と同様に、1日3回、仏壇か精霊棚に精進の霊供膳を用意すると言われ何かと慌ただしくなります。


お盆明けには、再び先祖の霊を送る道しるべとして送り火を灯します。昔ながらの先祖を敬う、いい風習です。どんなに忙しくてもご先祖さまの好物・お花などお供えも忘れないように、1日一度でもいいので霊供膳を用意し、今生かされているこ事の有り難さを謙虚に受け止める機会としたいものです。

四万六千日祭 無事終了

H25 四万六千日祭

お陰様でお天気にも恵まれ、今年度の四万六千日祭も無事終了いたしました。

本堂では、十一面観音さまが御開帳され、3日間とも20時より大護摩祈祷を厳修致しました。参拝なさった方もお観音さまからご縁を頂かれた事と思います。

また、8日、19時30分より、本堂に於いて東京西部教区 寶性寺 上田 浩憲僧正よりご法話をいただきました。仏様の御加護を頂くにはどうすればよいのかなど、判りやすいご法話で皆さま熱心に拝聴なさってました。
ステージでのイベントは、初日8日は、ダンスショー・カキ氷早食い競争・ウクレレライブ・ペアでチャレンジゲーム.

なか日、9日はがんばらんば体操・よさこい演舞・カラオケ・音楽ライブ、

最終日10日は、ダンスショー・鉄人渡来アスロンゲーム・マーチング演奏・ちびっ子浴衣コンテスト・子供俳句受賞者発表などなど。
屋台だけでなく、公民館長さん方や有志の方の出店などが並びとても賑わいました。

賑やかな祭りの後、夜店の片づけも終わり静けさが訪れた境内・参道を照らす灯篭。祭りの賑やかさとは相反する風情ですが、この幽玄な境内も祭りの時にしか出会えない心安らかな時間です。
準備から当日の運営など四万六千日祭実行委員・奉賛会の方々、酷暑の中大変ありがとうございました。

四万六千日祭 ご法話

平成25年8月8日
布教師:東京西部教区
寶性寺 上田 浩憲僧正

H25年度 四万六千日祭 法話


 皆さまこんばんは。ようこそお参り頂きまして誠にご苦労さまでございます。今夜20時より大護摩 奉修になっておりますが、その前に、生きる事の参考になればと思いお話をさせて頂きます。
 この福石山 清岩寺の四万六千日祭の行事は100年ほど続いているとお聞きしました。
 100年間、毎年続けることは素晴らしい、続けることの大切さ、しかしながら困難さも判ります。
 私も宗教者として、僧として、1000回以上の行を行います。行とは何をおこなうのか。観音様お不動様にお参りする時にはご真言をお唱えしますが、行をおこなっている時は
朝は4:30に起きて、お参りします。昼食の後そして、夕方お参りして夜は、8:00頃に
はやすみます。この1日、3回のお参りは、仏様のご真言を数珠を使い(数えなくてもわか
る)108回お唱えします。108回お唱えすることもあれば、1080回唱えることもあります。
 今から40年程前の真冬の極寒の中、東京の八王子の高尾山の山頂近くのお堂で行を行っておりました。私の先生はとても厳しい方だったので、行者は表に雪が積もっていても、どんなに寒くても白衣の下に長袖は着るな。といわれてました。蛍光灯が30W2つの薄暗い中、夜になり音が聞こえるのはムササビの鳴き声や夜行動物の声です。そういう環境の    中で一心にご真言を唱え毎日数時間にらめっこをするようにご本尊様、仏様と一緒に会話をします。
行と言うのは、動く行や・静かな行があり、動く行は、観音様のご真言を唱え床に頭をこすりつけ、もう一度立ちご真言を唱えて、というようにこの動作を108回行います。
1日3回、108回ずつ続けると畳に当たる肘の部分が擦れてしまいます。ある時、修行をしていた私は、先生のお坊さんに、「肘を見せてみろ。肘に傷がないではないか。真剣に行えば傷が出来て当たり前ではないか。」と、意地の悪いお坊さんだとその時は思ったのですが、その方のおかげで今こうして皆さんともお会いできるご縁に巡り合えましたし、こんなお話(偉そうに申し上げてるつもりはございませんが)もする事が出来、今となっては、真冬の行といったものも良い経験になったと思うのです。
私たちは普段いろいろなお経を唱えます。皆さんにとって判りやすいお経もあれば、何を言っているのか判らないようなお経もあります。
僧侶の私たちが唱えるお経の中で「懺悔の文」というお経があります。
「我(が)昔所造(しゃくしょぞう)諸悪業(しょあくごう) 皆(かい)由無始貧瞋癡(ゆむしとんじんち) 従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう) 一切(いっさい)我(が)今(こん)皆(かい)懺悔(ざんげ)」このお経の中には、人生のいろはが凝縮されているのです。私たちの日頃の行いが、あるいは何気なく発した言葉が、相手に対してダメージを与え、傷つける事になっているかもしれません。
今、好意で行った事が逆の結果になり相手が苦しんでいるかもしれない。そういった事をちゃんと考えた上で言葉を吐きのたまう。様々な形でを認めましょう。と、言うのが「懺悔の文」というお経なのです。私もいろいろな事について悩む事もあれば苦しむ事もあります。この世の中に苦しまない人などいません。また、悩み事がない人もいません。悩みがあるからこそ、苦しみがあり、また楽しみもあります。悩みや、苦しみを克服する時にこそ、努力をしようというガッツというものも生まれてくるのです。生きていくということは、様々な迷い・苦しみの連続です。自分だけが、苦労している訳ではなく、自分よりも、もっともっと辛い思いをして、苦労して苦労を重ねている人もいます。私自身も自分が色んな場面でとる行動や、発した言葉を振り返り、恥ずかしいなと思い、つらつらと反省をいたします。迷いもあり、その度に軌道修正しないといけないと反省するのです。
そういう時は、今日は朝からお経をお唱えしよう。と、一生懸命仏様に向かって自問自答しながら、仏様に対して心から帰依します。帰依するだけでなく、仏様の前でお誓いをする、というようにいたしております。
今日の四万六千日祭の行事のサブタイトルには、「真実に生きる」とポスターに書いてございました。すべてを真実に生きると言うことは、とても大切な事なのです。自分は正しいと思ってした事も相手にとっては、ちゃんとみてくれたのか、ダメだったのか、うまく伝わらない時もあります。様々な活動において、自らの行動を反省し、自問自答をしながら、こういうことを自分は間違っていたのかと気付くことにより、もう一歩悟りの世界に近づくのではないかなと思います。
今、はやりの言葉で「今でしょう」という言葉が使われています。何をやるのですか。今、あなたはこのチャンスを逃しては何もできません。と言う意味で「今でしょう」と、言う事だと思います。私は、正に明日やろう、明後日やろう、一週間後にやろう、ましてや、そのうちやろうなどと思った時には、知らず知らずの間に、初志貫徹も出来ずに、「いつかそのうち」と言っているうちにすでに、30日、半年もったってしまいます。今、自分がやらなければ、その発心は自らの是で第一歩を踏み出す事などできません。その一歩を踏み出す事の大切さを自覚しない限り、何も進展しないという現実的な結果にもなります。
今、富士山が世界遺産に登録されました。もともと、富士山というのは、信仰の山で、私たちも今から40年近くなりますけれども、白装束で右手に杖を突き、「六根清浄、懺悔・懺悔の六根清浄」と、掛け声を掛けながら、ひたすら山頂を目指し登っていきました。登山ではなく山頂近くに奉ってある仏様・神様の所に登拝修行のため登っていくのです。掛け声の「懺悔」は、自分のいろいろな行いについて悔い改める。懺悔・懺悔と繰り返すのは反省というものは大切なものであり、反省だけではなくてもっとしっかりと考えたうえで、今一歩を踏み出し、足元を見つめ、まっすぐに生きていく事が大事なのです。新しい世界に挑むため悔い改める事が、正に懺悔です。
次に、六根清浄と言うのは、目・耳・鼻・口・舌・皮膚、そうしたものを司る感覚によってすべての人間の深い部分を清め、本来の目的に向かって精進をしましょう。と言うことです。
皆さんが良く使われる言葉の中に「どっこいしょ」という言葉がありますがその、「六根清浄」が語源になっているとも言われています。普段の生活の中にしっかりと仏教の考え方、教えというものが息づいていると言うことだと思います。

この後、奉修されます十一面観世音菩薩さまのご宝殿における大護摩供。お堂の内陣、中央の炉には護摩木が組まれています。この炉は観音様です。その観音様にいろんなお供物(大豆・小豆・麦・胡麻)をさし上げ、護摩木を火に捧げ、その火の浄化で悩み苦しみというものを清め(観音様が全てを引き受けてくださり)尊い正しい因縁と結びつきましょうというご祈祷がこれから行われます。平素、ご信心の観音様のご加護を存分に頂く為には、ただお護摩の様子を眺めているだけではなく、「南無観世音菩薩」と唱え一心におすがりをし、また日常の生活の中ではできる限り精進・努力をすると、観音様がお通しをして下さる。手をさしのべて下さいます。観音経というお経の中に「念(ねん)彼(ぴ)観音力(かんのんりき)」という文言がたくさんでてきます。観音様はこれほど絶大なるお力を持っている。皆さんも精進・努力して念願の願いの成就が出来ますように観音様どうかお力をお貸しください。その為には、やはりただここに座っているだけではなくてお坊様がお唱えをするお経に合わせ心の中では私はひたすら観音様におすがりします。これから新たに努力を致します。と一心にお誓いし、口に出して「念(ねん)彼(ぴ)観音力(かんのんりき)」と唱え、また一定の努力をすることで新たなご利益が必ず頂けるはずです。これから、観音様にちなんだ作法の中で当山のご住職が導師をお勤め頂きまして祈願をいたします。護摩木というのは色々なお願いごとを書きます。十人それぞれの願いがあるように、また祈りがあるのです。その祈りを大護摩供により浄化な火で焼き清め新しいスタートに持っていっていただく、悪い縁は断ち切り、良い縁は導いていただき、皆さま方に観音様との縁(えにし)・叡智をまたより深くお持ちいただきまして観音様の前で自分なりに心を入れ替え、努力をしますという御誓いができれば今日のお詣りで大きなご加護というお土産をいただけると思います。「果報は寝て待て」ではありません。自分の平素の行いによって観音様から正しい力をいただき、そして精進・努力します。というお誓いをしていただくだけでも観音様の御宝殿だけにご利益がございます。

また、ご利益をいただく為に3つの働きがあります。
1つは、観音様の絶大なるお力。
2つ目、観音様を前に心を1つにして祈るお坊さまの読経の声。
3つ目、皆さん方の平素の努力
というものが合わさり初めてご利益が生まれるのです。私だって迷います。常日頃悩みもございます。でも、色々な悩み苦しみを抱え仏様と向き合いながら、一心にお経をお唱えすると不思議に心が軽くなるのです。これが、私の体験談ということでどうか、せっかくの100年以上続いている行である、四万六千日祭。皆さま、たくさんのご加護を観音さまからいただいて、今日お参りしてよかったと、そんな日にしていただければと思います。
本日は、お暑い中お参りいただきましてご苦労様でございました。今から、暑い加行、大護摩厳修いたします。どうか、一心にご祈念をいただきまして、よりたくさんのご加護を頂きますようお祈り申し上げます。大変ご無礼いたしました。

お参りをする時・その前の心構えや、姿勢。また、日頃時間に追われ、あまり気に留めていなかった自分自身の心の持ち方や、相手への配慮の仕方など、とても判りやすく、拝聴させていただきました。
十一面観音様の御開帳に合わせ、心に響く有り難いご法話をありがとうございました。
猛暑の中、遠路東京よりご出仕いただきました事、心より感謝申し上げます。

四万六千日祭 秒読みです。


今年度は、看板を新しく作りました。

 四万六千日祭は、信仰が中心となり、8/8・9・10の3日間の期間に参拝すれば、四万六千日(一生毎日)お参りしたものと同じように功徳が頂ける、観音さまとのご縁を結ぶお祭りです。最近は、パワースポットなどという言葉が一人歩きしているように感じますが、どうぞ、心静かにお参りなさって下さい。神社仏閣は、お参りすれば願いが叶う所ではありません。自分自身が謙虚になり、今までの行いを自省することにより、新たに進むべき方向が明らかになるのではないかと思います。


1300年前には、高僧 行基が、この地で十一面観音様を彫り安置なさいました。100年後の1200年前には、行基の足跡を辿り、
弘法大師 空海が庵を結び清岩寺と寺号をつけ、暫し瞑想したという座禅岩もあります。
 先人が歩いた同じ地を歩き、それぞれ何かを感じていただける事を願っています。
 法話は、8日だけとなっていますが、3日間とも20時より大護摩祈祷(真言密教)が修業されます。どうぞ、本堂に入りお観音さまからのご縁を頂かれて下さい。

京都AMラジオ初出演!

 京都・滋賀を中心に大阪・奈良の近畿圏で放送されている、「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」毎週月~金の朝6:30~10:00までの生放送に来週7月29日(月)8:10頃、電話で生出演することになりました。
 生出演するコーナーは、「あっちこっち ほっかほかだより」で、日本全国各地にスポットを当てて様々な話題をお届けするコーナーです。今回は8月に開催される夏祭りについての放送になります。福石観音で毎年8月8日~10日まで開催されます四万六千日祭について、開催の概要やイベント情報などをお話しする予定です。
 福石観音清岩寺は真言宗のお寺で、本山は京都東山七条にある智積院(ちしゃくいん)です。今回の、京都AMラジオ生出演、とても楽しみにしています。

平成25年 7月18日 観音様縁日

 毎月18日は観音様のご縁日になります。当山では午前11時より大護摩祈祷が始まり、12時頃から住職の法話となります。以下、法話の抜粋です。

一年の中で一番暑い7・8月、先祖供養の時期になりました。
 全国の寺院で、7・8月に行われるのが施餓鬼供養です。奥の深い、私たちの心の在り方に繋がってくる供養になります。お釈迦様の10代弟子の中の目連尊者は、お釈迦様に長年仕える強い神通力を持った方でした。ある日夢の中で、このままだと餓鬼道に堕ちてしまうと言われ、お釈迦様にお尋ねしたところ、いろんな食べ物を施しながらたくさんの餓鬼の供養をしなさいと言われ、言われる通りに餓鬼の供養を行いました。
 その時お釈迦様が、目連に授けた教えがほかならないこの施餓鬼の法となっているのです。 自分の先祖だけでなく、供養されず彷徨っている餓鬼までも救う心持ちが、自分自身を救うということになるのです。
もう一つ、身近な先祖だけでなく命の根源となる先祖までお迎えするのがお盆です。
 沖縄では、家族全員がお墓に集まり、食事をし、歌ったり、踊ったり、賑やかに先祖の帰りをお迎えします。よく盆踊りと言いますが、先祖を喜んでお迎えする、また、秋の豊作を祈る為始まったと言われるように、自然の恵みに感謝すると同時に、大切な方が亡くなった今でも、家族皆で寄り添い前を向いて明るく一生懸命生きていますという気持ちを形に表しているのです。
 また、先祖を大切にする仏教的な習慣・文化として、お釈迦様のお誕生日の花祭りもありますが、日本人はクリスマスに重きを置き、仏教の教えを説いたお釈迦様の花祭りには関心を示さない方も多いようですが、仏さま・先祖に感謝する日本人特有のいにしえぶり、文化の継承を忘れてはならないと思っています。感謝、感謝と言葉では言っても、心・体で相手にお伝えするのはとても難しい事です。相手が生きている間に伝える事ができれば、何の悔いも残りませんが、伝える事ができなくても、忘れず精一杯日々を過ごし生きていく事が、亡くなった方へ感謝を伝える追善供養となるのです。
 来月始まる四万六千日祭は、8月8日~10日までの縁日にお詣りすればお観音様のご利益を頂ける、これも日本に根付いた文化と言えます。
 観音霊場は全国どこに行ってもお詣りできます。実は、観音様と私たちはとても近い所にあり、未熟な私達を救うため、姿・形を変えて、悩んでいる人々をお救いくださる観音様の慈悲、大慈悲であり今でも観音信仰と言われ、人々の信仰を集めています。
 7・8月には、地蔵盆もあります。若くして亡くなる方や、生まれてすぐ亡くなる赤ちゃんも多かった事から、子を慈しむ母の心がお地蔵様を奉り、地蔵信仰を日本各地に広め現在に至っているのです。こういう事を深く考えお参りすることは少ないと思いますが、7・8月というご先祖さまに一番近い時期を迎え、新たな気持ちでお精霊さま、ご先祖さまを一緒にお迎えして頂きたいと思います。
 皆様は、毎日がご先祖様とのおつきあいかもしれませんが、普段の生活の中では、ご家族の皆さんと亡くなった方へ向かう気持ちを話し合うということもないでしょう。お盆の時は、ご家族が自宅へ帰りお揃いになる。そういう時こそ、お互い先祖への思いを言葉にし、懐かしい思いを寄せてあげることが、亡くなった方が喜ぶ事で供養になり、だからこそ我々が忘れることなく迎えてあげる準備をするお盆の行事も、子々孫々へ伝えなければならない大事な仏教徒の文化であるのです。
 8月17,18日に行われます、京都の大文字焼きの送り火は、奈良・平安の時代から亡くなった方が迷わないように火を使いご供養する形であります。
 迷わず自宅へ帰るように灯篭に灯りをともし、灯篭の下には、手を洗う水とタオルを用意しご先祖さまをお迎えする。御仏壇には、自宅へは早く帰り、西方浄土へは遅く戻るように、と野菜のなす、キュウリをお供えする等、日本各地に今でも根付いている風習もあります。
 今年はそういう思いの中にご先祖さまをお迎え頂きたいと思っています。
 過去を振り返り、現在を見つめ、今は亡き精霊に供養を尽くすことが、人を思いやる事のできる自己の完成に繋がるのではないでしょうか。
 今年の夏は殊の外、蒸し暑い日々が続いております。熱中症などに掛からないよう、くれぐれもご自愛下さい。

施餓鬼法要

お施餓鬼は、無縁仏を含めた三界のすべての精霊を供養するために行う法要です。

有縁無縁の一切の餓鬼に食物(飲食(おんじき))を施し与えて、ひとり残らずこれを餓鬼道の苦しみから済度する。餓鬼とは、成仏できないままに迷いの世界をさまよいつづける亡者のこと。
お釈迦様の弟子のひとり、従兄弟の間柄であった阿難(あなん)は、多年お釈迦様に仕えても欲を離れない人でした。その阿難の行為の非をたしなめたのが丑三刻(うしみどき)に現れた一餓鬼で、貪欲による悪業によって汝は三日後には餓鬼道に堕ちること必定であり、それを免れたいと思うならば、明日までにガンジス河の砂の数ほどの多数の餓鬼それぞれの前に一石の飲食を供養することである、と餓鬼は阿難尊者につたえる。そこで阿難尊者はお釈迦様にお教え頂いた、ありがたい陀羅尼を唱えながら餓鬼に食を施したところ、福寿の寿命を増したという対策が、ほかならない施餓鬼の法です。考えてみれば、自分本位の考え方の者多い現代日本人のなかで餓鬼道に堕ちないものがはたして何人いるのでしょう。己の心を貪欲の巣窟としてはなりません。施餓鬼は過去の形骸ではなく、現代に息吹いている法要であることを忘れず、心しなければならないのです。

当山、清岩寺でも7月11日(木)11時より施餓鬼法要を行いました。お陰様で檀家さんも足を運びやすい、いいお天気でした。
お釈迦様を奉ってある仏塔を礼拝することによって福徳が得られると言われてますが、私たちがその仏塔を造るのであれば、より大きな福徳を得る事ができます。法要・法事などでお塔婆をあげるのは、私たちが願主となって仏塔を建立した事と同じで、これによって得られた福徳をご先祖さまに追善廻向するためです。

特にお施餓鬼では、有縁無縁すべての霊に対しても、福徳を追善廻向するためにお塔婆をあげるのです。
塔婆供養が終わると、お盆で使う五色旗を檀家さんにお渡しします。

この五色旗は、五如来のお導きによってすべてのご先祖さまがご供養されます。すべての命を受け継いで生まれてきた私達がご先祖さまの総供養を行った事になります。感謝と敬虔な心でお盆を迎え、15日、精霊流しの時に五色旗も一緒に流したり、送り火と共に燃やします。

長串山のツツジ

長串山のツツジ観てきました
とても綺麗すぎて興奮しました 笑
行楽客が多かったです
風が強かったです。
クルメツツジとヒラドツツジが約10万本あるそうです。

詳しくはこちら
http://www.nagushiyama.jp/

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満開の桜!

今年は例年になく暖かい日が続き、お彼岸中に境内の桜も満開になりました。
老木の桜ですが、寒さを乗り越え見事な花を咲かせ、私たちの心を癒してくれます。
忙しい日々の中でも、美しく咲いた桜を見上げる余裕があるといいですね。自然の恩恵を体いっぱい受けて、新たな一歩を踏み出せるかもしれませんね。