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四萬六千日祭終了しました。

祭り日和のいいお天気に恵まれ、今年度の四萬六千日祭も成満無事終了となりました。
十一面観音様が御開帳となり、それぞれ色んなお願いごとをなさったと思います。
この3日間、一日だけでもお参りすると、四萬六千日お参りするのと同じご利益があると言われておりますが、お参りするだけで願い事が叶うわけではありません。自分自身で願いが叶うように努力をしなければなりません。結果は努力した通りです。
 過去と自分以外、誰も変える事ができませんが、未来と自分自身は自分の思い通りに変えることができます。
どうぞ、お参りに来られた皆様の願いが叶いますように。

精霊流し

お盆も終わりとなりました。
15日は、小麦粉と米粉で送り団子を作ります。小麦粉と白玉粉(4:1ほどの割合で)に砂糖を少し入れ、水を加え耳たぶの固さになるようにします。米粉にも同じように白玉粉、砂糖、水を入れて混ぜます。一口大ほどに丸め、かしわの葉に包み15分ほど蒸すと出来上がりです。家庭でも簡単に作れます。
精霊さまのお膳も15日には混ぜご飯を作ります。ゴマ豆腐なども入れ最後のお膳を子ども達と一緒に用意し、お芋をふかしお供えします。
お盆の棚経も終わり、ご先祖様に皆でお参りを済ませると、今日のお膳やお芋、果物、お菓子などをコモに入れて、五色如来の旗をたて精霊流しの準備が整いました。
3日間の慌ただしいお盆も終わりますが、精霊流しは亡き人に思いを馳せ、やはり寂しくなります。

精霊さまのお膳

真言宗では、お盆の精霊さまのお膳は、故人が好きだった精進料理を3日間、種類を変えて作ります。また、13日は迎え団子を作り、14日はおはぎを作り、15日は送り団子を作ります。その地方によって内容も少しづつ変わるようですが、小さい頃から、精霊さまに炊いて食べさせなくてはと、出かけることなくキッチンに缶詰めの母の姿を思い出します。
お墓や、ご仏壇の掃除をし、精霊さまをお迎えする姿こそ、先祖を敬い感謝をする事だと感じます。こういう季節の行事からも道徳心等を教えてもらっていたのでしょう。近年は、大変だからと何でも簡単にやめてしまっていますが、それと同時に、家庭の中でしか教える事の出来ない大切な事を、いとも簡単に手放しているのではと不安になります。道徳は座学で学ぶより、日本の昔から続いている季節の行事を子どもと一緒に準備をし、大切に守っていく事で自然と身についていくのかもしれません。

お盆を迎える

お盆の由来
お盆は、真夏の暑い日に亡きご先祖が我が家を訪れる、仏様の里帰りの日でもあります。お盆の正式名称は「盂蘭盆会」といいますが現在は省略して「お盆」と呼ばれています。
お盆の供養は、餓鬼道に落ちているかもしれない先祖への供養とされています。昔、お釈迦様の十大弟子の一人で、神通力第一と言われた目連尊者がいらっしゃいました。その神通力で亡き母親の姿を見たところ、餓鬼の世界で苦しんでいました。目連尊者は母を救うため、お釈迦様に救済する教えを請いました。するとお釈迦さまは、「我が子にはとても愛情をかけ、慈悲深い母だったが、子どもへの愛情に固執し、他者への思いやりや、気配りが足りなかったため、餓鬼道に堕ちてしまった。その母を救う道は、母が行った業への償いのために追善供養を行うこと。」そのように言われた目連尊者は、たくさんの僧侶を集めて供養を行ったおかげで、母を餓鬼道から救われた、と言われています。
現代の親としても、とても考えさせられ、先祖を供養するだけではなく、自分自身を省みるいい機会となるのではないでしょうか。

精霊棚
お盆には各家庭で精霊棚を整え、ご先祖にお供えします。お盆は年に一度遠いところからご先祖様が帰って来る日なのです。帰ってきたお先祖様がゆっくりして頂けるように、と準備するのが精霊棚です。準備が終わると、提灯を灯し迎え団子を作り、我が家にお迎えをします。お盆の間はお膳を用意し、お供え物を準備しご先祖を供養します。

平成28年度 四萬六千日祭

梅雨が明けて、毎日暑い日が続いております。いよいよ年に一度の大祭が近づいて参りました。
今年度の四萬六千日祭は下記の通りです。

お呈茶(抹茶接待)は8月8日(月)18時30分より本堂前で行います。

苦しみや悲しみも南無観世音菩薩とお唱えすると、いつでもどこでも観音様はその人々の願いに応じお救い下さいます。未だに観音信仰が途絶えないのはそういう理由からです。何事も思い通りには進まない日々ですが、この3日間の大祭で、観音様とご縁を結ばれますように。
年々祭り開催の為のご協賛(献灯料)も減少しております。どうぞ、観音信仰という文化の継承の為、多くの方々のご協力を頂きたいと願っております。

四萬六千日祭のご寄付のお問い合わせは左記の通りです。、TEL:0956-31-8372   FAX:0956-31-8340  福石観音清岩寺
よろしくお願い申し上げます。

平成28年 文月 18日 観音様縁日

梅雨が明けたとは思えないような、蒸し暑い日が続いています。皆さま体調管理は大丈夫でしょうか。
「六道(ろくどう)」という言葉を聞かれたことがありますか。迷いの世界を六道と言い①地獄②餓鬼③畜生④修羅⑤人(にん)⑥天に区別されます。
①地獄:前世で最も重い罪を犯した者が転生(てんしょう)する世界。
②餓鬼:前世で欲望が強く、欲望のままに行動した者が行く世界。
③畜生:人間以外のものに転生する世界。
⑥天 :前世で多くの善行を積んだ者が住む神々の世界。
欲・貪(むさぼ)りなど自分を満たす事から逃れられない、このような生き方をした人が行く場所が①地獄・②餓鬼・③畜生で、その場所に堕ちていくのです。私たちがこの世でどのような事を考え、どのような生き方をしてきたのか。その結果、あの世での場所が区別されるという事を教えています。

また、私たちは迷い苦しみます。それは「三界(さんかい)」という考え方があります。欲界・色界・無色界(むしきかい)です。
欲界とは、食欲・性欲・睡眠欲などの欲望が支配的な世界である。色界と言う世界では、欲望はなくなって、肉体的あるいは物質的なものが清らかな状態にある。無色界とは、肉体的あるいは物質的なものがなく、精神的なものだけがある世界です。
お釈迦さまに「私亡き後、56億7千万年後に兜率天から降り、世の人々を救うであろう」と予言されたという弥勒菩薩は、未来を守る仏様とされます。今の私たちが生きている時代は、弥勒菩薩が現れるまでの無仏の時代となります。この無仏の時代に、救いの仏様として私たちを見守って下さる仏様が大地のように大きな慈悲の心で全ての物を育み、救ってくれるとされるお地蔵さまです。上記、六道を輪廻する人々全てを救うために六つの姿となって現れる事から、六地蔵をまつることが一般的となっていますが、あの世とこの世を行き来し衆生の人々を救うため請願されお守りくださいます。
 また、観音様もいらっしゃいます。早いもので観音様の大祭の「四萬六千日祭」も迫ってまいりました。秘仏とされお姿をこの世に現せないと50年、100年に一度の御開帳となる観音様もいらっしゃいます。「観自在菩薩」様々な苦難を受けた時、観自在菩薩と一心にその名を称え(たたえ)るなら、苦しみの音声を聞き分けてお救い下さるであろうという意味です。また、「観自在菩薩」人々から観られつつ、多くの人々を観る、そして度(すく)う働きが自由自在である。この言葉が、今でも根強い観音信仰の基となっているのではないでしょうか。年に一度の功徳のある大祭、100年ほど続く祭りです。その時代時代で試行錯誤されてここまで続いてまいりました。高齢化に伴い夜は危ないと言う方もふえてまいりましたが、時代は変わっても観音様のご利益は変わりません。たくさんの皆様のお参りをお待ちしています。

施餓鬼法要

施餓鬼法要 平成28年7月11日

先週、7月11日(月)11:00より清岩寺にて、施餓鬼法要を厳修致しました。

皆さま「お施餓鬼」をご存知でしょうか。
お施餓鬼とは餓鬼に色々な飲食(おんじき)を施すことです。また、今、自分に与えられた生命を尊び感謝し、長生きを願うという意味と、追善供養として三界(すべての世界)萬(ばん)霊(れい)の有縁無縁の精霊と、檀信徒の先祖先亡の諸精霊を供養する事の意味もあります。

この施餓鬼の由来についは「救抜焔口餓鬼陀羅尼神(くばつえんくがきだらにしんじゅ)呪(じゅ)経(きょう)」という経典に次のように説かれています。
お釈迦様の十大弟子のひとりにお釈迦様の法話を一番多く聞いたところから、多聞(たもん)第一といわれた阿難(あなん)尊者というお方がおられました。
ある夜、阿難さまが森の中で一人静かに座禅しておりますと、突然、体は醜く痩せ細り、喉は針先のように細く、髪は逆立ち、口からは焔(ほのお)を出す焔(えん)口(く)という餓鬼があらわれて「お前は三日のうちに死ぬ。そして私のような醜い餓鬼に生まれ変わるであろう」といい、さらに「そうなりたくなかったならば、餓鬼たちにたくさんの飲食(おんじき)を施せ」と阿難さまにせまりました。阿難様は驚き、恐ろしくなって、お釈迦様の元へ飛んでゆき、どうしたらよいでしょうかとお尋ね致しますと、お釈迦様は「施餓鬼棚に新鮮な山海の飲食をお供えし、供養を営みますと命は助かり、お悟りもひらかれ、お釈迦様のお弟子さんの中で最も長生きをされたそうです。これがお施餓鬼の始まりです。

わが国には平安時代のころ伝来し、鎌倉時代以後、地獄思想が普及するにつれて広く一般にも営まれるようになりました。私たちは、毎日なにげなく口にしている米や野菜、魚、肉などの生命(いのち)の犠牲のうえに成り立っているといっても過言ではありません。つまり、自分自身が長生きできますようにと願うばかりではなく、人間以外の生命をも尊びなさいという教え、これがお施餓鬼なのです。
五如来の願い

お施餓鬼の法要には、飢えに苦しむものを救うばかりでなく、延命長寿を祈念する目的もあります。ですから本来はいつ営んでもよいのですが、餓鬼道で苦しむ母親を救った目連様のさまの説話と似ていることから、お盆の時節に行われることが多くなりました。しかし、ごく日常的に営んでいるところもあります。お施餓鬼の法要にお参りいたしますと青、黄、赤、白、黒(紫)の五色の旗が風にゆられてヒラヒラとまっているのをご覧になったこともあるでしょう。
過去(かこ)宝(ほう)勝(しょう)如来=むさぼりながら生ずる悪い行いをすて、自己に対して清らかな心、他に対しては思いやり心をおみがえらせてくれる。
妙(みょう)色(しき)身(しん)如来=餓鬼のような、醜く、いやらしい姿から美しい姿に導いてくれる。
甘露王如来=仏の法を身体と心にそそぎ、無上の喜びを与えてくれる。
広(こう)博(はく)身(しん)如来=餓鬼の針先のように細い喉もとを広げ、布施した食物を自由に食べられるようにしてくれる。
離怖畏(りふい)如来=すべての恐怖を除き、餓鬼のせかいから離れさせてくれる。
と五つの如来さまの名前が書いてあります。
これは、物惜しみしない豊かな心で、醜い心を美しくし、心身ともに清らかな慈悲円満の力強さを意味しています。この五如来の願いが、今日のお施餓鬼の基本となっているのです。
とらわれを離れる
餓鬼とは、食べ物がすべて火となって食べる事ができず、水は焔となって喉を潤す事ができない、飢えと渇きの世界です。これは、六つの迷い(六道=天上、人間、修羅(しゅら)、畜生(ちくしょう)、餓鬼、地獄)の一つに数えられています。ところで昔は、よく子どものことを「この餓鬼は」などと怒っていましたが、子供は大好物の食べ物を見ると、いくらでも食べて、これでいいという満足を知りません。満腹しても、まだまだ食べようとします。こうしたガツガツして満足感を知らない事を「餓鬼」というのです。これと子どもがよく似ていることからこんな言葉がでたのではないでしょうか。しかし、よく考えてみれば、なにも子どもに限ったことではありません。恥ずかしい話ですが、大人もガツガツした不平・不満だらけのガキの心をもっています。
物欲、金銭欲、名誉欲、性欲などが数えあげたらきりがありません。こうした浅ましい「ガキ」の心をもった人は数限りなくいます。
一切の力を捧げる
 静かに自らを反省してみると、私たちはいつの間にか、何かにとらわれ、思い込み、大なり小なり餓鬼道に足をふみいれるのではないでしょうか。何かに悩むのは、何かにとらわれ、しがみついているからです。そして、自らを餓鬼道に堕(おと)しいれているのです。
私たちの生活の中で本当の満足というものは得られるのでしょうか。いつも不平・不満ばかりです。しかし、この不平・不満があるからこそ文化を発展させることができたのも事実です。もっと楽しい事はないか、もっと便利なものは考えられないか、といった不平・不満が研究や工夫を重ねジェット機、新幹線、コンピューター、電話などの発明、発展に結びついてきたのです。このように不平・不満が文化の発展、向上につながるのも事実ですが、醜い形での不平・不満は犯罪と結びついたり、餓鬼道に堕ちたりするのです。車も正しく使えば文明の利器となりますが、スピードの出し過ぎや交通ルールを守らなかったがために事故を起こし、人の生命までをも奪ってしまう凶器となるのです。
「ガキ」とは「とらわれ」「しがみついた」浅ましい心のことです。この「ガキ」の世界からのがれるには「とらわれから離れる」、「手放す」ことです。
この「とらわれから離れる」「手放す」には、「布施」の心を持つことです。
財乏しく、智慧足らず、力弱き私たちではありますが、財乏しき中、智慧足らざるままに、自らの力のかぎり精進させていただくところに「布施行」があります。施すことによって、生きとし生けるすべてに感謝し喜びのある、きれいな心になるのです。さらに一歩進めて考えるならば、自らができ得る一切の力を捧げるという精神を養う事が「お施餓鬼」の目指すところなのです。こうした意味をよくくみ取り生活の中に生かし精進努力したいものです。
転法舎「お施餓鬼のしおり」より

日々の生活を営む事に精一杯で、自分の行いや、考えを顧みる事に気持ちが至っていない毎日を送っている方も多いのではないでしょうか。神社仏閣に参拝する事により、自分自身を振り返り自省(じせい)する、そういう時間を持ちたいものです。

青葉祭り(H28.6.18)

 一雨ごとに青葉若葉の鮮やかなグリーンが映える境内で11時より青葉祭りを厳修致しました。
 弘法大師は、宝亀5年(774年)の6月15日にお生まれになられました。この日をお祝いする行事が、「青葉まつり」と呼ばれます。又この日は、お大師様の師匠の、恵果和尚の師匠にあたる不空三蔵の入滅された日でもあります。
 不空三蔵は、大唐の玄宋などの三皇帝に厚い信任を得て、密教の教えを中国に定着させた、とても偉いお坊様でした。そして、この月の17日は真言宗の中興の祖である興教大師様が、お生まれになった日でもあります。
 清岩寺では6月18日(土)に、両祖大師ご誕生慶祝法要(青葉祭り)の大護摩修業を、青葉薫る境内本堂にて勤修致しました
 家内安全や身体健全などそれぞれの願い事を祈念致しました。
 御誕生祭の青葉祭りに合わせ、甘茶(お釈迦様の花祭り・4/8)のご接待も致しました。
 法要終了後、ハープ奏者の、迎 菜穂美さんによる演奏が行われ、ハープの優しい音色が境内に響き渡っていました。

5月18日 法話

このたびの熊本震災では多くの方々が犠牲になられ、未だ収まる事のない余震が続いております。先の見えない不安な日々を過ごされている事を耳にするにつれ、1日も早い日々の安寧を願わずにはいられません。
9万人もの避難された方々がおられ、余震の続く中、車中での寝泊りに、避難所でもプライバシーのない過酷な生活を余儀なくされている現実が毎日のように報道されております。私たちに今できることはなんだろうと皆さんも毎日思われ、義援金や物資の提供、ボランティアなどそれそれが出来ることをなさっている事と思います。
東日本大震災においても、未だ復興は進んでおりません。熊本震災でも、人々の被害の他、皆さんがご存知の熊本城・通潤橋・神社仏閣・などの歴史的な建造物も」大きな被害を受け、これから梅雨の時期に入り台風の被害も心配されています。
佐世保に住んでいる我々にもいつどのような災害が起きるか、例え備えをしていても万全ではないのかもしれません。しかし、自分たちの町・地域での対策をきちんと行い安全に備え、今できる事を考え自分の身は自分で守れるよう準備をしないといけないのかもしれません。
このような未曾有の自然災害があるたびに思う事は、自然の前では我々人間は無力であると言うことです。便利なあまり頼っている文明の利器も太刀打ちできない被害にみまわれると言う事です。
しかし、こういう時だからこそ小さな一人一人の力が大きな力となります。それぞれの立場で自分に出来る事を続ける、そして、続けていく息の長いマンパワーこそ復興に繋がっていくのではないでしょうか。
本日の大護摩祈祷は、震災に遇われた方々の供養と1日も早く復興がなされる事を祈念いたしました。被害にあわれた方々の心の平穏を心より願っております。

新年の準備

早いもので今年もあと3日となりました。
檀信徒の皆様のおかげで、お掃除・花入れ・角松の準備が整いました。皆様のご奉仕に深く感謝申し上げます。
境内を掃きながら、今年を振り返り、思うようにできたことできなかったことなど反省をしつつ、心の中の整理もでき来年を迎える準備も整ったように感じます。