平成27年11月18日  法話

私事ですが、9月半ば、12月の除夜の鐘の餅つきの時に使う薪を用意しようと思い、寄付していただいた斧を使っておりました。中々うまく割る事が出来ず、とうとう腰を痛めてしまいまして1か月以上、腰痛に悩まされました。
昔の方々は、斧を使って上手に薪割りをなさってました。中々難しく、斧を振り下ろすのですが、スパッと割れずにひっかかるので、何度も振り下ろすことになり、それが腰にくるのでしょうね。しかし、気を付けて物事を運ばないといけない年になってきたんだなと実感致しました。
さて、今年は、ちょうど戦後70年になります。福石観音でも、特に四万六千日祭におきまして、その事を念頭に置きイベントを行いました。戦後、私たちは人生50年という時代から今では、80、90年と長息ができる時代になったと感じています。
その中で私たちは何故この世に生を受けたのか、何のために生きているのか、命の使命感というところに気持ちを持っていくのはなかなか難しいと思うますが、命を知ると言う事は、大変必要な事です。また、我々はその命を使う使命についての考えが様々であるのは当然の事ですが、その反面特に何も考えずに毎日を過ごしている人がいるのも残念ですが然りだと思います。
しかしながら、最近のニュースのなかでは、20歳過ぎのお父さんが幼児にタバコを吸わせてそれをネットに流すという事が報道されていました。皆さんはどうお感じになられましたか。呆れてものも言えない。そういう気持ちになる方も多かったのではないでしょうか。
ネットが悪いと言う事ではありませんが、使い方によっては、被害者や犠牲者を出してしまうという事実を忘れてはいけません。また、一度ネット上に公開された写真は、取り消すことは不可能です。私たち使う身が考えないと、色んな形で悪い習慣というか、悪い世の中を作っていくものの1つのツール・手段になってしまうのではないか。そういう恐ろしさを感じています。私たちもその事に、無関心で生きていられないのです。
また、数日前には皆さんもご承知の通りフランスでテロが起きてしまいました。今のテロリストが恐ろしいのは、武装している訳ではなく、日常、我々が家族と共に楽しむ、劇場、レストランなどで無差別に人の命を奪うと言う事です。フランスの首相は、この行為は戦争と考えていいとの発言をし、そうとも思える状況にニュース報道を見て、平和的に解決できないのかとただただ祈る事しかできません。私たちそれぞれが、平和というものを真剣に考えないといけない時代になったように思います。平和な世の中を作っていく、それが使命であり、その為に祈ると言う事も大事な事です。犠牲になった人たちが、本当にまさかこんな形で命を奪われてしまうと誰が予想できたでしょう。残された家族の方々の苦しみや悲しみが少しでも癒されることを願わずにはいられません。
私は、平和というものは永遠に続いて欲しいと強く願っておりますが、現実はそうではありません。この日本も宗教には関係なく平和というものについて考える時にきているのかなと思います。
お観音様は、慈悲という事をとても大事になさいます。自分の事だけではなく、周りの方の事も考え行動していく、その慈悲心という生き方、1人でも多く、そういう方が増えていくことを願って、これから先、人々が平和な世の中にする為に、努力を惜しまない事が大事なのです。
なぜ私はこの世に生まれてきたのか、立ち止まって考えてみる時間も私たちには必要なのではないかと、深く感じます。