平成26年4月18日  法話

 桜が終わるとつつじが咲き始め、花を愛でる気持ちというのは皆さまも一緒だと思います。季節の移り変わりと共に咲き変わる花は、日本人の心に深く浸透し、色んな思いを呼び起こし私たちを癒してくれます。桜の開花が北の国までいくと、今度は新緑の季節へと変わります。4月・5月というのは私たちの気持ちを解きほぐす、心の温もりや安らぎをふつふつと感じさせてくれる季節、そういった思いが致します。花といえば香り、花の香りもまた風に乗って、私たちの心に染み入り豊かな気持ちにさせてくれます。
 人はそれぞれいろんな生き方があります。よく徳を積むと耳にしますが、徳のある人になるというのは、大変難しいものです。どういう考えを持ちどういう行いをすればいいのだろうと考えますが、必ずただただ1つの方法に向かって進むのではなく、柔軟性を持って色んな場所に行き、相手を思い損得を考えずに行いをする事でいつの間にか徳を積んでいる事になるのではないでしょうか。人が徳を積む事によって、それぞれの心の育み方、得る物も違ってくるのです。我々もそう思って、1日1日徳を積むように毎日を過ごしてますが、そういう生き方と言うのはとても難しいものです。
 だからといってあきらめるのでなく、少しでも徳を積む生き方が出来るよう努力することが大切なのです。
 4月というのはスタートの時期で、花とともに我々も自然界で新たな場所へ旅立つ時期でもあります。各言う私の長男も、4月より本山(京都智積院)へ修行に入りました。やっと本山での修行の時がきたと思うと、今までが長かったと言う思いと、自分も年をとったのだとしみじみ感じ入ります。1年間の修行が本人にとって厳しい現実への第一歩なので、不安もあり楽しみもあり色んな思いが混ざったスタートだと思います。私も長男に付き添い本山の得度式・入学式へいってまいりました。得度と言うのは、本山の管長さまの前で、今から自分はどんな時でも、仏様と共に一生を過ごさせて頂き修行に入ります、という覚悟の式です。坊主頭にしますが、もみあげだけ残し得度式で管長様に剃って頂きます。長男も前日までは茶髪でしたが、しっかりと剃りあげた姿は、1年間俗世間と離れる覚悟を決めたように思え、自分自身の得度式と重ね合わせ、自分を映すように懐かしくまた頼もしく感じました。私も出家して40年以上たちますが、本当に時の流れの早さを感じます。
 修行の1年間は俗世間と離れ、未知な世界に入る厳しい世界への第一歩です。今まで休日は昼まで眠っていた長男ですが、本山では午前3時起床になります。本山に入り1週間はまだ、電話も出来るため足りないものを送ってくれとかかってきました。本山での様子を聞くと「なかなか、眠れません。」と、言っておりました。多分、夜遅く眠ると、起床が午前3時過ぎ頃なので起きれないかもしれないと不安に思うと、きっと眠れなくなるのでしょう。修行をする皆が通る道なので、慣れてくるとは思いますが、我々が修行をしていた時に比べると、内容的にも厳しくなったように感じます。
 また、若者は勿論の事、我々も手放せない携帯電話・パソコンは持ち込み禁止です。長男は携帯を、解約して本山に入りました。当然連絡手段は、手紙となります。今は、何でもメールで済ませるので、自分の思いを文にする事は、これから先の人生にとってとても大事な事だとそういう思いが致します。最近、押し入れの整理をしていると私の修行時代に父から送ってきた手紙が出てきました。まだ仕送りは現金書き留めで送ってきておりましたので、お小遣いは大事に使うのは勿論ですが、現金書き留めの封筒でもなかなか捨てられず、送ってきた手紙は、読み返しておりました。やはり親は有り難いなと、手紙に書いてあるのは他愛のない事ばかりで、「お前が一生懸命精進して修行するように」の一言ですが、それが有り難く40年近く捨てられず大切にとっておりました。「何故、僧侶にならなければいけないのか」と寺に生まれれば、物心ついた時から、ずっと思ってきた事の答えが本山での修行の場に自分の身を預ける事で少しずつ見えてくるのです。言葉遣いが変わり、行動が変わっていく。厳しい中で自分と対峙する事で何かを感じ得るのかもしれません。こう考えると機会があればどなたにでも勧めたい、そういう思いです。
 新たな出発において、一輪の花がどういう咲き方をするのか判りませんが、我が子も頑張っているのだから、私も何か始めようと思い、禁煙に挑戦しましたが、3日間で終わってしまいました。何度も挑戦していますが、成就できずにいます。
 そういったことを思いながら4月というのは、花の香りや人生の生きる道を求め、新たな自分を見つけるスタートかな、という思いでこの一年過ごしてまいりたいと思います。皆さま方も今年度4月からのスタート、お体に留意されてお過ごし頂ければと思います。