お盆を迎える

お盆の由来
お盆は、真夏の暑い日に亡きご先祖が我が家を訪れる、仏様の里帰りの日でもあります。お盆の正式名称は「盂蘭盆会」といいますが現在は省略して「お盆」と呼ばれています。
お盆の供養は、餓鬼道に落ちているかもしれない先祖への供養とされています。昔、お釈迦様の十大弟子の一人で、神通力第一と言われた目連尊者がいらっしゃいました。その神通力で亡き母親の姿を見たところ、餓鬼の世界で苦しんでいました。目連尊者は母を救うため、お釈迦様に救済する教えを請いました。するとお釈迦さまは、「我が子にはとても愛情をかけ、慈悲深い母だったが、子どもへの愛情に固執し、他者への思いやりや、気配りが足りなかったため、餓鬼道に堕ちてしまった。その母を救う道は、母が行った業への償いのために追善供養を行うこと。」そのように言われた目連尊者は、たくさんの僧侶を集めて供養を行ったおかげで、母を餓鬼道から救われた、と言われています。
現代の親としても、とても考えさせられ、先祖を供養するだけではなく、自分自身を省みるいい機会となるのではないでしょうか。

精霊棚
お盆には各家庭で精霊棚を整え、ご先祖にお供えします。お盆は年に一度遠いところからご先祖様が帰って来る日なのです。帰ってきたお先祖様がゆっくりして頂けるように、と準備するのが精霊棚です。準備が終わると、提灯を灯し迎え団子を作り、我が家にお迎えをします。お盆の間はお膳を用意し、お供え物を準備しご先祖を供養します。

平成28年度 四萬六千日祭

梅雨が明けて、毎日暑い日が続いております。いよいよ年に一度の大祭が近づいて参りました。
今年度の四萬六千日祭は下記の通りです。

お呈茶(抹茶接待)は8月8日(月)18時30分より本堂前で行います。

苦しみや悲しみも南無観世音菩薩とお唱えすると、いつでもどこでも観音様はその人々の願いに応じお救い下さいます。未だに観音信仰が途絶えないのはそういう理由からです。何事も思い通りには進まない日々ですが、この3日間の大祭で、観音様とご縁を結ばれますように。
年々祭り開催の為のご協賛(献灯料)も減少しております。どうぞ、観音信仰という文化の継承の為、多くの方々のご協力を頂きたいと願っております。

四萬六千日祭のご寄付のお問い合わせは左記の通りです。、TEL:0956-31-8372   FAX:0956-31-8340  福石観音清岩寺
よろしくお願い申し上げます。

平成28年 文月 18日 観音様縁日

梅雨が明けたとは思えないような、蒸し暑い日が続いています。皆さま体調管理は大丈夫でしょうか。
「六道(ろくどう)」という言葉を聞かれたことがありますか。迷いの世界を六道と言い①地獄②餓鬼③畜生④修羅⑤人(にん)⑥天に区別されます。
①地獄:前世で最も重い罪を犯した者が転生(てんしょう)する世界。
②餓鬼:前世で欲望が強く、欲望のままに行動した者が行く世界。
③畜生:人間以外のものに転生する世界。
⑥天 :前世で多くの善行を積んだ者が住む神々の世界。
欲・貪(むさぼ)りなど自分を満たす事から逃れられない、このような生き方をした人が行く場所が①地獄・②餓鬼・③畜生で、その場所に堕ちていくのです。私たちがこの世でどのような事を考え、どのような生き方をしてきたのか。その結果、あの世での場所が区別されるという事を教えています。

また、私たちは迷い苦しみます。それは「三界(さんかい)」という考え方があります。欲界・色界・無色界(むしきかい)です。
欲界とは、食欲・性欲・睡眠欲などの欲望が支配的な世界である。色界と言う世界では、欲望はなくなって、肉体的あるいは物質的なものが清らかな状態にある。無色界とは、肉体的あるいは物質的なものがなく、精神的なものだけがある世界です。
お釈迦さまに「私亡き後、56億7千万年後に兜率天から降り、世の人々を救うであろう」と予言されたという弥勒菩薩は、未来を守る仏様とされます。今の私たちが生きている時代は、弥勒菩薩が現れるまでの無仏の時代となります。この無仏の時代に、救いの仏様として私たちを見守って下さる仏様が大地のように大きな慈悲の心で全ての物を育み、救ってくれるとされるお地蔵さまです。上記、六道を輪廻する人々全てを救うために六つの姿となって現れる事から、六地蔵をまつることが一般的となっていますが、あの世とこの世を行き来し衆生の人々を救うため請願されお守りくださいます。
 また、観音様もいらっしゃいます。早いもので観音様の大祭の「四萬六千日祭」も迫ってまいりました。秘仏とされお姿をこの世に現せないと50年、100年に一度の御開帳となる観音様もいらっしゃいます。「観自在菩薩」様々な苦難を受けた時、観自在菩薩と一心にその名を称え(たたえ)るなら、苦しみの音声を聞き分けてお救い下さるであろうという意味です。また、「観自在菩薩」人々から観られつつ、多くの人々を観る、そして度(すく)う働きが自由自在である。この言葉が、今でも根強い観音信仰の基となっているのではないでしょうか。年に一度の功徳のある大祭、100年ほど続く祭りです。その時代時代で試行錯誤されてここまで続いてまいりました。高齢化に伴い夜は危ないと言う方もふえてまいりましたが、時代は変わっても観音様のご利益は変わりません。たくさんの皆様のお参りをお待ちしています。

施餓鬼法要

施餓鬼法要 平成28年7月11日

先週、7月11日(月)11:00より清岩寺にて、施餓鬼法要を厳修致しました。

皆さま「お施餓鬼」をご存知でしょうか。
お施餓鬼とは餓鬼に色々な飲食(おんじき)を施すことです。また、今、自分に与えられた生命を尊び感謝し、長生きを願うという意味と、追善供養として三界(すべての世界)萬(ばん)霊(れい)の有縁無縁の精霊と、檀信徒の先祖先亡の諸精霊を供養する事の意味もあります。

この施餓鬼の由来についは「救抜焔口餓鬼陀羅尼神(くばつえんくがきだらにしんじゅ)呪(じゅ)経(きょう)」という経典に次のように説かれています。
お釈迦様の十大弟子のひとりにお釈迦様の法話を一番多く聞いたところから、多聞(たもん)第一といわれた阿難(あなん)尊者というお方がおられました。
ある夜、阿難さまが森の中で一人静かに座禅しておりますと、突然、体は醜く痩せ細り、喉は針先のように細く、髪は逆立ち、口からは焔(ほのお)を出す焔(えん)口(く)という餓鬼があらわれて「お前は三日のうちに死ぬ。そして私のような醜い餓鬼に生まれ変わるであろう」といい、さらに「そうなりたくなかったならば、餓鬼たちにたくさんの飲食(おんじき)を施せ」と阿難さまにせまりました。阿難様は驚き、恐ろしくなって、お釈迦様の元へ飛んでゆき、どうしたらよいでしょうかとお尋ね致しますと、お釈迦様は「施餓鬼棚に新鮮な山海の飲食をお供えし、供養を営みますと命は助かり、お悟りもひらかれ、お釈迦様のお弟子さんの中で最も長生きをされたそうです。これがお施餓鬼の始まりです。

わが国には平安時代のころ伝来し、鎌倉時代以後、地獄思想が普及するにつれて広く一般にも営まれるようになりました。私たちは、毎日なにげなく口にしている米や野菜、魚、肉などの生命(いのち)の犠牲のうえに成り立っているといっても過言ではありません。つまり、自分自身が長生きできますようにと願うばかりではなく、人間以外の生命をも尊びなさいという教え、これがお施餓鬼なのです。
五如来の願い

お施餓鬼の法要には、飢えに苦しむものを救うばかりでなく、延命長寿を祈念する目的もあります。ですから本来はいつ営んでもよいのですが、餓鬼道で苦しむ母親を救った目連様のさまの説話と似ていることから、お盆の時節に行われることが多くなりました。しかし、ごく日常的に営んでいるところもあります。お施餓鬼の法要にお参りいたしますと青、黄、赤、白、黒(紫)の五色の旗が風にゆられてヒラヒラとまっているのをご覧になったこともあるでしょう。
過去(かこ)宝(ほう)勝(しょう)如来=むさぼりながら生ずる悪い行いをすて、自己に対して清らかな心、他に対しては思いやり心をおみがえらせてくれる。
妙(みょう)色(しき)身(しん)如来=餓鬼のような、醜く、いやらしい姿から美しい姿に導いてくれる。
甘露王如来=仏の法を身体と心にそそぎ、無上の喜びを与えてくれる。
広(こう)博(はく)身(しん)如来=餓鬼の針先のように細い喉もとを広げ、布施した食物を自由に食べられるようにしてくれる。
離怖畏(りふい)如来=すべての恐怖を除き、餓鬼のせかいから離れさせてくれる。
と五つの如来さまの名前が書いてあります。
これは、物惜しみしない豊かな心で、醜い心を美しくし、心身ともに清らかな慈悲円満の力強さを意味しています。この五如来の願いが、今日のお施餓鬼の基本となっているのです。
とらわれを離れる
餓鬼とは、食べ物がすべて火となって食べる事ができず、水は焔となって喉を潤す事ができない、飢えと渇きの世界です。これは、六つの迷い(六道=天上、人間、修羅(しゅら)、畜生(ちくしょう)、餓鬼、地獄)の一つに数えられています。ところで昔は、よく子どものことを「この餓鬼は」などと怒っていましたが、子供は大好物の食べ物を見ると、いくらでも食べて、これでいいという満足を知りません。満腹しても、まだまだ食べようとします。こうしたガツガツして満足感を知らない事を「餓鬼」というのです。これと子どもがよく似ていることからこんな言葉がでたのではないでしょうか。しかし、よく考えてみれば、なにも子どもに限ったことではありません。恥ずかしい話ですが、大人もガツガツした不平・不満だらけのガキの心をもっています。
物欲、金銭欲、名誉欲、性欲などが数えあげたらきりがありません。こうした浅ましい「ガキ」の心をもった人は数限りなくいます。
一切の力を捧げる
 静かに自らを反省してみると、私たちはいつの間にか、何かにとらわれ、思い込み、大なり小なり餓鬼道に足をふみいれるのではないでしょうか。何かに悩むのは、何かにとらわれ、しがみついているからです。そして、自らを餓鬼道に堕(おと)しいれているのです。
私たちの生活の中で本当の満足というものは得られるのでしょうか。いつも不平・不満ばかりです。しかし、この不平・不満があるからこそ文化を発展させることができたのも事実です。もっと楽しい事はないか、もっと便利なものは考えられないか、といった不平・不満が研究や工夫を重ねジェット機、新幹線、コンピューター、電話などの発明、発展に結びついてきたのです。このように不平・不満が文化の発展、向上につながるのも事実ですが、醜い形での不平・不満は犯罪と結びついたり、餓鬼道に堕ちたりするのです。車も正しく使えば文明の利器となりますが、スピードの出し過ぎや交通ルールを守らなかったがために事故を起こし、人の生命までをも奪ってしまう凶器となるのです。
「ガキ」とは「とらわれ」「しがみついた」浅ましい心のことです。この「ガキ」の世界からのがれるには「とらわれから離れる」、「手放す」ことです。
この「とらわれから離れる」「手放す」には、「布施」の心を持つことです。
財乏しく、智慧足らず、力弱き私たちではありますが、財乏しき中、智慧足らざるままに、自らの力のかぎり精進させていただくところに「布施行」があります。施すことによって、生きとし生けるすべてに感謝し喜びのある、きれいな心になるのです。さらに一歩進めて考えるならば、自らができ得る一切の力を捧げるという精神を養う事が「お施餓鬼」の目指すところなのです。こうした意味をよくくみ取り生活の中に生かし精進努力したいものです。
転法舎「お施餓鬼のしおり」より

日々の生活を営む事に精一杯で、自分の行いや、考えを顧みる事に気持ちが至っていない毎日を送っている方も多いのではないでしょうか。神社仏閣に参拝する事により、自分自身を振り返り自省(じせい)する、そういう時間を持ちたいものです。

青葉祭り(H28.6.18)

 一雨ごとに青葉若葉の鮮やかなグリーンが映える境内で11時より青葉祭りを厳修致しました。
 弘法大師は、宝亀5年(774年)の6月15日にお生まれになられました。この日をお祝いする行事が、「青葉まつり」と呼ばれます。又この日は、お大師様の師匠の、恵果和尚の師匠にあたる不空三蔵の入滅された日でもあります。
 不空三蔵は、大唐の玄宋などの三皇帝に厚い信任を得て、密教の教えを中国に定着させた、とても偉いお坊様でした。そして、この月の17日は真言宗の中興の祖である興教大師様が、お生まれになった日でもあります。
 清岩寺では6月18日(土)に、両祖大師ご誕生慶祝法要(青葉祭り)の大護摩修業を、青葉薫る境内本堂にて勤修致しました
 家内安全や身体健全などそれぞれの願い事を祈念致しました。
 御誕生祭の青葉祭りに合わせ、甘茶(お釈迦様の花祭り・4/8)のご接待も致しました。
 法要終了後、ハープ奏者の、迎 菜穂美さんによる演奏が行われ、ハープの優しい音色が境内に響き渡っていました。

5月18日 法話

このたびの熊本震災では多くの方々が犠牲になられ、未だ収まる事のない余震が続いております。先の見えない不安な日々を過ごされている事を耳にするにつれ、1日も早い日々の安寧を願わずにはいられません。
9万人もの避難された方々がおられ、余震の続く中、車中での寝泊りに、避難所でもプライバシーのない過酷な生活を余儀なくされている現実が毎日のように報道されております。私たちに今できることはなんだろうと皆さんも毎日思われ、義援金や物資の提供、ボランティアなどそれそれが出来ることをなさっている事と思います。
東日本大震災においても、未だ復興は進んでおりません。熊本震災でも、人々の被害の他、皆さんがご存知の熊本城・通潤橋・神社仏閣・などの歴史的な建造物も」大きな被害を受け、これから梅雨の時期に入り台風の被害も心配されています。
佐世保に住んでいる我々にもいつどのような災害が起きるか、例え備えをしていても万全ではないのかもしれません。しかし、自分たちの町・地域での対策をきちんと行い安全に備え、今できる事を考え自分の身は自分で守れるよう準備をしないといけないのかもしれません。
このような未曾有の自然災害があるたびに思う事は、自然の前では我々人間は無力であると言うことです。便利なあまり頼っている文明の利器も太刀打ちできない被害にみまわれると言う事です。
しかし、こういう時だからこそ小さな一人一人の力が大きな力となります。それぞれの立場で自分に出来る事を続ける、そして、続けていく息の長いマンパワーこそ復興に繋がっていくのではないでしょうか。
本日の大護摩祈祷は、震災に遇われた方々の供養と1日も早く復興がなされる事を祈念いたしました。被害にあわれた方々の心の平穏を心より願っております。

新年の準備

早いもので今年もあと3日となりました。
檀信徒の皆様のおかげで、お掃除・花入れ・角松の準備が整いました。皆様のご奉仕に深く感謝申し上げます。
境内を掃きながら、今年を振り返り、思うようにできたことできなかったことなど反省をしつつ、心の中の整理もでき来年を迎える準備も整ったように感じます。

平成27年12月11日 開山忌法要

開山忌は、宗祖 弘法大師のお教えを受け継ぎ、真言密教を復興された、真言宗中興の祖 興教大師さまのご命日の事です。
 総本山では、12月11、12日両日は冬報恩講出仕論義・陀羅尼会法要が、全国の寺院僧侶数百名の出仕により、盛大に執り行われます。
当山におきましても、興教大師のご命日に檀信徒並びに、永代供養者の各霊の総供養を勤修致します。


また、今年度の本山布教師は奥羽教区 遍照院 工藤智教僧正 です。

 12月11日(金)13時より開山忌法要 工藤僧正の法話は14時からです。

平成27年11月18日  法話

私事ですが、9月半ば、12月の除夜の鐘の餅つきの時に使う薪を用意しようと思い、寄付していただいた斧を使っておりました。中々うまく割る事が出来ず、とうとう腰を痛めてしまいまして1か月以上、腰痛に悩まされました。
昔の方々は、斧を使って上手に薪割りをなさってました。中々難しく、斧を振り下ろすのですが、スパッと割れずにひっかかるので、何度も振り下ろすことになり、それが腰にくるのでしょうね。しかし、気を付けて物事を運ばないといけない年になってきたんだなと実感致しました。
さて、今年は、ちょうど戦後70年になります。福石観音でも、特に四万六千日祭におきまして、その事を念頭に置きイベントを行いました。戦後、私たちは人生50年という時代から今では、80、90年と長息ができる時代になったと感じています。
その中で私たちは何故この世に生を受けたのか、何のために生きているのか、命の使命感というところに気持ちを持っていくのはなかなか難しいと思うますが、命を知ると言う事は、大変必要な事です。また、我々はその命を使う使命についての考えが様々であるのは当然の事ですが、その反面特に何も考えずに毎日を過ごしている人がいるのも残念ですが然りだと思います。
しかしながら、最近のニュースのなかでは、20歳過ぎのお父さんが幼児にタバコを吸わせてそれをネットに流すという事が報道されていました。皆さんはどうお感じになられましたか。呆れてものも言えない。そういう気持ちになる方も多かったのではないでしょうか。
ネットが悪いと言う事ではありませんが、使い方によっては、被害者や犠牲者を出してしまうという事実を忘れてはいけません。また、一度ネット上に公開された写真は、取り消すことは不可能です。私たち使う身が考えないと、色んな形で悪い習慣というか、悪い世の中を作っていくものの1つのツール・手段になってしまうのではないか。そういう恐ろしさを感じています。私たちもその事に、無関心で生きていられないのです。
また、数日前には皆さんもご承知の通りフランスでテロが起きてしまいました。今のテロリストが恐ろしいのは、武装している訳ではなく、日常、我々が家族と共に楽しむ、劇場、レストランなどで無差別に人の命を奪うと言う事です。フランスの首相は、この行為は戦争と考えていいとの発言をし、そうとも思える状況にニュース報道を見て、平和的に解決できないのかとただただ祈る事しかできません。私たちそれぞれが、平和というものを真剣に考えないといけない時代になったように思います。平和な世の中を作っていく、それが使命であり、その為に祈ると言う事も大事な事です。犠牲になった人たちが、本当にまさかこんな形で命を奪われてしまうと誰が予想できたでしょう。残された家族の方々の苦しみや悲しみが少しでも癒されることを願わずにはいられません。
私は、平和というものは永遠に続いて欲しいと強く願っておりますが、現実はそうではありません。この日本も宗教には関係なく平和というものについて考える時にきているのかなと思います。
お観音様は、慈悲という事をとても大事になさいます。自分の事だけではなく、周りの方の事も考え行動していく、その慈悲心という生き方、1人でも多く、そういう方が増えていくことを願って、これから先、人々が平和な世の中にする為に、努力を惜しまない事が大事なのです。
なぜ私はこの世に生まれてきたのか、立ち止まって考えてみる時間も私たちには必要なのではないかと、深く感じます。

国指定文化財(名勝)に指定

福石観音境内にある羅漢窟は江戸時代後期の1847(弘化4)年に、時の平戸藩主 松浦煕(ひろむ)が選定した領内8箇所の奇岩・名勝地の一つ。間口60m、高さ4m、奥行5mの三日月状の洞窟となっており、古来の海水による浸食により現在のような形になったと考えられています。
福石観音羅漢窟(福石山)の他に江迎町「髙巌」、吉井町「潜龍水(潜龍ノ滝)」「石橋(御橋観音)」、小佐々町「大悲観(大悲観公園)」、瀬戸越町「眼鏡石(眼鏡岩)」、高梨町「巌屋宮(須佐神社)」、早岐2丁目・有福町「潮之目(早岐瀬戸)」の8箇所を平戸領地方八竒勝(通称:平戸八景)と言います。
福石観音の羅漢窟は平成27年3月10日に国指定文化財(名勝)に指定されました。