開山忌法要御案内

謹啓 寒さも一段と厳しくなってまいりました。皆様方にはご清祥のこととお喜び申し上げます。
 開山忌は、宗祖 弘法大師のお教えを受け継ぎ、真言密教を復興された、真言宗中興の祖 興教大師さまのご命日の事です。
 総本山では、十二月十一、十二日両日は冬報恩講出仕論義・陀羅尼会法要が、全国の寺院僧侶数百名の出仕により、盛大に執り行われます。
当山におきましても、興教大師のご命日に檀信徒並びに、永代供養者の各霊の総供養を勤修致します。
 今年最後の法要になりますので、皆様、ご参詣下さいますようご案内申し上げます。
合掌


十二月十一日(火) 午後一時 開山忌法要
ご法話 岩手教区 興性寺住職  司東 和光 僧正
以上

開山忌 ご法話「方便を究竟とす」

東日本大震災から1年9ヶ月が過ぎようとしていますが、いまだ思うように復興も進んでおりません。断熱材が入ってない為、夏は暑く冬はとても寒い、防音もしていない筒抜けの仮設住宅で、現在も何十万の人々がお正月を迎えようとなさっています。市街地も、まだがれきの山で復興とは程遠い現実があります。
 被災地の寺院でも、お堂や庫裡が全半壊になったり、寺院が避難所になり地域の方とともに支え合い檀家さま全部被災され再建が難しくまだまだ苦難の日々を過ごされています。

今年7月3日、陸前高田市長円寺本堂におきまして、京都総本山智積院より大僧正寺田信秀猊下 御導師のもと、東日本大震災三陸大津波物故者追悼法要・復興祈願法要が厳修されました。92歳というご高齢にもかかわらず、法要後は凛としたお姿でご法話をして頂き、常に被災地に心を寄せて頂き、感謝の念に堪えません。
また、愛知県犬山市寂光院のご住職は、各県寺院において布教(法話)を行われておりますが、岩手教区主催で行われた慰霊祭でのご法話は、すべて被災者で遺族の方々、その方々を前に何と言っていいのか一番難しいご法話であったと話されてました。

被災に合い家族を亡くしても、それぞれの立場で乗り越えていかなければなりません。
私も、被害にあわれた寺院の再建の手伝いはもちろんの事、寺庭(奥様)・檀信徒の方と一緒に、支援物資を手に仮設住宅の慰問を行っています。また、慰問した先で供養をお願いされる事もあります。被災地の寺の住職という立場で、被災者と向き合い元気付けなければならないと思っています。
今日の法話の題名「方便を究竟とす」とは、気持ちをもち、行動をおこし、人助けをする。正に、思いを実践する、ということであります。自分自身から率先して人助けを行うことが引いては、心も素晴らしい人になり、自分が仏さまの道を歩む事に繋がります。
また、“情けは人の為ならず“という言葉がありますが、この意味は困っている人がいたら手助けをしてあげる、その行為がいつの日か、巡り巡って色んな形で自分に返ってくる。
つまり、いい行いも悪い行いもすべて、自分自身に返ってくるのです。
津波被害後の被災地の人々の行動が、世界各国の人々に賞賛されました。支援物資を受け取るため、略奪もなく整然と並び、わずかな食べ物を分け合い、お年寄り・赤ちゃん等弱者を優先し過酷な状況の中でも他者を労わる謙虚な姿。災害にあい家族を亡くしたとしてもそれぞれの立場で乗り越え、お互い支え合わなくてはならないのです。
こういう姿こそ、日本人が精神的な伝統の中で、仏の教えが身についていると言うことになるのではないでしょうか。
災害は突然やってきます。世は無常であり、だからこそ日々命を大切に、どうか、皆様も困っている人がいらしたら、それぞれのお立場でご自身に出来る手助けを迷わず行って頂きたいと願っています。

以上、ご法話を抜粋させていただきました。

昭和49年 総本山智積院(京都)で同期であった、現在円満寺住職 葛西英寛師の檀家様も地域ごと一瞬の内に大津波で数多く犠牲となられたそうです。その悲しみを乗り越え、物故者となられた方の冥福を毎日のように供養され、また、岩手教区ご寺院様方と共に、復興のため活動を続けてこられています。その。様子を布教師会報や桔梗通信にて詳しく知りました。私たちもできる限りのお手伝い、現地へ同期で慰問など、被災で今も苦境に立たされている皆様の事を忘れることなく、応援してまいりたいと思っています。
司東和光住職におかれましては、現在もなお、あらゆる支援活動を精力的に頑張っておられることに敬服いたしますとともに、くれぐれもお体をご自愛いただき、一日も早く平安が訪れますように祈念申し上げます。