令和元年 四萬六千日祭

毎年、8月8日(木)~10日(土)まで行われる四萬六千日祭も近づいてまいりました。
今年も3日間、観音様のご開帳となり20時より本堂で大護摩祈祷が厳修されます。
祈りとは、意宣(いの)りとも言われ自分の意志を宣言とも書きます。願い事を叶えるため、心を整えどう行動するのか、自分の確固たる信念を神仏に宣言し、心願成就となるよう願っております。今年もお祭り広場では、ステージイベントも色々と予定されております。
また、8日の18時頃から本堂前でお抹茶(冷茶)のご接待も行います。
どうぞたくさんの皆様のお参りをお待ちしております。

令和元年度 施餓鬼法会

梅雨明けとともに、蒸し暑い日が続いております。お盆も近づいてまいりました。
去る7月11日(木)11時より、お大師堂にて施餓鬼法要を厳修致しました。
たくさんの檀信徒の皆さまにお参り頂きありがとうございました。

お施餓鬼の謂(いは)れは、お釈迦様の十大弟子で仏教学に精通した阿難(あなん)尊者(そんじゃ)が瞑想していたところ、口から火を吐く餓鬼が現れ「お前は三日後死んで餓鬼道に生まれ変わる。それが嫌なら餓鬼道の一切の餓鬼に食を施し三宝に供養せよ。そうすれば、その功徳でお前も救われる。」と、言われました。阿難さまは恐れ戦き、お釈迦様に救いを求め、お示し下さったのが施餓鬼法会です。
施餓鬼(せがき)法会(ほうえ)は、餓鬼道の鬼神に食物を施すことで、自分の内にある餓鬼の心(慳貪心・ものおしみ)を開放するためのものですが、未だ成仏していない先亡の霊を成仏させ、その功徳をご先祖さま、恩人、知人にご回向(えこう)申し上げるのが基本の心です。
また、自分では良いことを行ったり、言ったりしていると思う一種の思い上がり「他からの優しい言葉、温かみのある態度を持つ心」「それを当たり前と思う心」が居座りそれが満たされないと「私がこれほどまでにしているのに何故?」という怒りの心が出てきます。これはすべて「心の餓鬼」といわれます。よりよい人生を送るため、今一度自省する良い機会にもなります。

どうぞ、お寺で行われている施餓鬼法会に参加し、心の施餓鬼法会(大切なのは読経と真心)を行われることをお勧めします。

令和元年 青葉祭り

 宗祖 弘法大師は、774年の6月15日にお生まれになられました。また、この日はお大師様の師匠の、恵果和尚の師匠にあたる不空三蔵の入滅された日でもあります。
 不空三蔵は、大唐の玄宋などの三皇帝に厚い信任を得て、密教の教えを中国に定着させた、とても偉いお坊様でした。そして、6月17日は真言宗の中興の祖である興教大師様が、お生まれになった日でもあります。
 毎年、京都の本山 智積院では、6月15日に、両祖大師ご誕生慶祝法要(青葉祭り)が厳修されております。当寺院では、6月18日(火)11時より、青葉祭りの大護摩修業を、本堂にて行いました。大護摩祈祷の後は、童神や島唄、涙そうそう・・・など、魂に響くような穏やかで優しい歌声に、檀信徒の皆さまも癒しの時間を過ごされました。

平成31年度 己亥年節分祭

平成最後の節分祭が2月3日(日)に行われました。
あいにくの雨となりましたが、たくさんお参り頂きありがとうございます。
節分は季節の変わり目である立春の前日に行われます。節分は、旧暦のお正月の前にあたり、昨年の厄払いや災難を払い祓い清める追儺の儀式です。寒い草枯れの冬から、麗かな陽気の春を心待ちにするように、私たちの日々も穏やかで明るい毎日を送れますようにと、誰もが願うことでしょう。このような日本古来の風習を行う事は、少し横着になっていた自分に気付かせてくれ、謙虚な心を取り戻すいい機会ともなり、節分の意味も含めて大事に伝えていきたいものです。

平成28年度 四万六千日祭

今年度もおかげさまで、盛況の内に四万六千日祭を無事成満することができました。

お天気にも恵まれ、お祭り広場でのイベントでは、たくさんの方にお楽しみ頂きました。
祭りの3日間、20時から本堂で行われる大護摩祈祷には、お堂に入れないほどお参り下さる方が増えております。観音様のご開帳の期間です。お参り下さった方々が観音様のご加護を頂かれますように願っております。

高校生寺子屋開催!!

去る8月6日(月)福石観音に於いて東京大学4年生の成田航平さんと早稲田大学4年生の深澤まぶねを講師に迎えて、高校生寺子屋を開催致しました。
16時からは高校生対象で佐世保北高・佐世保西高・佐世保南高の生徒の参加がありました。
将来の夢と仕事をどのようにつなげて考えたらいいのか、不得意科目の勉強の仕方、受験勉強のこつ、やアドバイスを細かく教えてもらいました。
19時からは、保護者対象で、都会と地方の高校生の違いや、大学受験が新しくなり、どのような事に、注意すればよいのかなど、保護者として気になることを聞くことができました。中でも、国公立と私立の受験や、奨学金のここだけの話など、時間オーバーになるほど盛りだくさんでした。また、都会と地方では、ボランティア活動にしても大学受験に対する、認識の違いに驚くばかりでした。保護者としても、学校では聞けない内容を詳しく聞けて有意義な時間を過ごすことができました。

四萬六千日祭

福石観音 四萬六千日祭
見えない所に善意あり、捨てるも心、拾うも心。
2018年8日、9日、10日の三日間開催します。
詳細は、チラシをご覧ください。

平成30年度 青葉祭り

青葉祭りは、宝亀5年(774年)の6月15日に、お生まれになられた宗祖 弘法大師様をお祝いする行事です。また、この日は弘法大師の師匠の恵果和尚の師匠にあたる不空三蔵の入滅された日でもあります。不空三蔵は、大唐の玄宋などの三皇帝に厚い信任を得て、密教の教えを中国に定着させた、とても偉いお坊様でした。そして、17日は真言宗の中興の祖である興教大師様が、お生まれになった日でもあります。

毎年、本山である京都 智積院や、全国の各寺院においてもお祝いの法要が営まれています。

自坊、清岩寺におきましても、6月24日 日曜日 11時より本堂にて、先人のご遺徳を讃える御誕生慶祝法要を厳修致しました。
たくさんの檀信徒の皆さまがお参りされ、大護摩祈祷では、諸願成就がご祈祷されました。

大護摩祈祷の後は、“ミスミーランド“によるミニコンサートが行われました。時の流れに身をまかせ・涙そうそう・見上げてごらん夜の星を・瑠璃色の地球などなど、アンコールも入れて全8曲。「選曲がよかった」と、とても喜ばれておりました。梅雨の晴れ間に澄みきった声が境内に響き渡り、歌声をさらに引き立たせる演奏に、心を癒されるひと時でした。

平成30年 佐世保中学校慰霊祭

去る4月17日(火曜日)11時より、佐世保中学の慰霊祭が雨天のため本堂(観音堂)にて厳修されました。
今年は、佐世保中学校創立110年にあたります。若かりし日々、共に過ごした仲間に思いをはせ、物故者名簿を奉納し、しめやかに慰霊法要が厳修されました。
参加なさる皆さまも一年ごとに齢を重ね、足腰に老いを感じてもなお慰霊を続ける、お姿に思いの深さを感じずにはいられません。

私たちは、日々当たり前のごとく朝を迎えることができますが、そこには戦争で言葉では言い尽くせないほどの辛苦を耐え、家族を思いながら命を奪われた方々の無念の思いがあることを決して忘れてはならないと改めて思う慰霊祭となりました。戦後生まれの私たちに出来ることの一つとして、戦没者の方々に思いを馳せ、毎年の慰霊祭を行うことだと思っています。
友の、御魂迎え奉り、その面影を偲びつつ、謹んで功徳の法要を営まんとす。

平成30年3月 彼岸法要

平成31年3月22日  彼岸法要


桜もあっという間に満開になり、いよいよ春本番の暖かさになってきました。
去る3月22日小雨降るなか、11時よりお大師堂にて彼岸法要が行われました。
布教師は、東獄山西光寺住職 里見呂明僧正です。今回は法話とご詠歌をお唱えしていただきました。

法話

親しい人を亡くしたことがない自分にとって、親孝行について思いを巡らしてみますと、うちもけして住み心地がいいとは言えず、あちらこちら、老朽化しているので、もしものあかつきには何とか建て直してあげたいなと、親孝行になるかなぁと思ってしまいます。
仏教は、自分自身を幸せにしていく教えです。仏さま・ご先祖様をご供養するとともに、自分自身がどういう風にすれば、幸せな道を見つけていけるのかを指導していく場がお寺の役割ではないのかと感じるのです。
もしも肉親が・・、と、考えたときに、元気な時に足りなかった孝行を、亡くなってからでも出来る先祖供養が親孝行になるのではないかと考えます。供養というのはそういう形であって、お寺は親孝行の場。新しい発見があって、私たちお坊さんは、皆、自分のお寺をどういう風にすればいいか頭を悩ませたりするんですが、親孝行の場というものをしっかり感じられる場所にしていけばいいのかなと最近感じました。
瞑想をご存知ですか。私は、寝る前20分から40分ほど行ってから眠るようにしています。やってみて思う事は体によさそうだという事です。
私たちは、自分の心の中をそうそう見つめることはない。自分がどうしたいかよくわからないのが正直なところです。
脳科学では、右脳は直観的、芸術的な事、左脳は論理的なことをつかさどるそうです。左脳の機能がなくなると時間的な感覚がなくなるそうです。靴下が履けない、右手で靴下を履くが、左手で脱ごうとするそうです。右脳も左脳も一緒に働かないと、心(思い)と行動が上手くいかない。
瞑想も同じような気がします。やらなきゃいけないから、やる。座ってると、やっぱりやめようと立とうとし思いが拮抗している。でもだんだんと座っていると、拮抗している心が穏やかになる。
瞑想を40分した次の日は、何故か嫌な事が起こらない気がします。仏さまが守ってくださってるからかなぁ、とも思いますが、瞑想を行うことで、体の芯が柔らかくなる。その為、嫌な事が起こった時に反応する自分自身が違う気がするのです。
心が柔らかくなり、柔軟に物事をとらえる事が出来るのではと感じます。では、怒りとはどういうものかと考えますと、怒りは心の奥底に恐怖心があり、その防衛反応として怒る行動になるのではと考えます。この人は怒っている、本当は怖いんだな、と思える心の余裕ができるのです。
怒ることは、その人自身の問題で、他人にはコントロールできません。
思い通りにならないとどうしたらいいかと解決策を見つけることになる。
自分自身がどうしたらいいか、人のせいにせず判断できるにはどうしたらいいのか。
手を合わせている瞬間は、実は瞑想と同じでそういうことが起きている。体の芯が軽くなって、瞑想と同じことが起きているのです。「仏さまご先祖様に手を合わせる」それは仏さま、ご先祖様のために手を合わせるんですが、そうしていると自分自身の心も体も柔らかくなるのです。

「いろはわさん」をご存知ですか。
密厳浄土という言葉がありますが、大日如来のお大師様の言葉で、この世はそのままお浄土ですよ、我々が生きている、苦しみに満ちたと言い切っていいのかわかりませんが、この苦しみに満ちた世界でも、そのまま仏さまのお浄土ですよと言っている。瞑想の後、受け止める世界が違う、自分が見る景色が違うとお話ししました。自分自身で心も体も柔らかくしていくと、この世は決して、思い通りにならない世界ではなくて、苦しいこと、悲しいことがあってもそのまま仏さまが傍にいらっしゃる。そう思うと、苦しみも悲しみも受け取る事ができるのではないでしょうか。この世で生きていることは、仏さまに囲まれていることと何らかわりはなくて、自分自身の人生を、仏さまに守られながら生きていく事になる。お大師様はそれを確信されていたので、このような言葉を残されたのです。
私たちは、生きていると亡くなった方もいらして、悲しい、苦しい経験をすると、その苦しみを乗り越えた時、人の悲しみがわかる人間に育っていくのかなと思います。まだ父も母も健在で、そのような経験はないですが、至ってないがそのように成長したいと思っております。お大師様の、教えが我々を救ってくれて、瞑想してみるとこういうことかなという気持ちになり、人生が楽しくなる。お大師様の教えは本当に我々の人生を楽しくしてくれる。そのように思うのです。これからもまだまだ未熟者ですが、一緒に手を合わせて、皆さまと共に、自分自身の幸せを一緒に見つけていただけたらと思います。