H28.8.18 法話

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今年の観音様のご縁日、四萬六千日祭も8月8日から10日までの3日間、天候に恵まれ、例年と変わらずたくさんの皆さんにご参拝を頂きました。祭り期間中ご本尊さまの十一面観音様をご開帳致しました。皆さんお姿拝見なさいましたか。お観音様は、色んなお観音様がいらっしゃいます。手には蓮華、蓮の花、蓮の実をもってらっしゃいます。もう一つの手は施無畏(せむい)といって手のひらを上に向けて差し延べていらっしゃいますが、一切の衆生の願いを全て叶えてあげたいという思いがこの左手の形に現れています。右手に持ってらっしゃる蓮華というのは、私たちの心が浄化するように、我々の願い、苦しみを全て救って下さいます。十一面観音様は十一のお顔をもってらっしゃいます。本体も入れると十二となります。怒りの顔、苦しみの顔、それぞれの表情は、我々を救うため、怒らないといけない人には怒りの顔で、悲しんでいる人には慈悲深い微笑みで、我々を救うため十一の表情があり、救いを求めている人をもれなく救うためのお姿です。
この3日間の大祭にはたくさんの方々が、色んな思いを胸に手を合わせられました。その中で3日間とも20時からの大護摩祈祷にいらした女性の方がおられました。どのような思いでいらしたのかお尋ねしましたら、息子さんが病気に罹っているそうで、せっかく仏様とご縁をいただいたので、この3日間は修行のつもりで子どもの為にお参りさせていただきました。と、言われていました。願いというのは正に通じる、通じないという事よりも、一心に手を合わせ仏様にゆだねる事ではないでしょうか。
何事も思うようにならないものですが、なくてはならない人、居なくてもいい人、いては困る人、などなどと言いたくなる時があるかもしれません。でも、居なくてもいい人などいるはずがないのです。感情的になる事もありますが、自分自身なくてはならない生き方をしようと思い、周りの人々に思いを寄せる事が大切なのだと思います。私はなくてはならない人になるんだと、自覚を持って意志を起こす。自分が逝く時、目を閉じるその瞬間まで、そういう人でありたいなと思います。また、新しい出会いもある訳ですが、全ての出会いは一期一会となるはずです。そのひととき瞬間を大切にする事が大事なのではないでしょうか。
戦後71年という月日が経ちましたが、たった1つの原爆で一瞬の間に亡くなった長崎・広島の方々の犠牲の上に今の世の中がある事を決して忘れてはいけません。一瞬のうちに落とされた命を思う時、私たちがその代わりになって出来る事、親は子の為、子は親の為、それぞれが自分の思いを巡らせて、また亡き人の供養を続ける。そういった生き方が大切なのではないかと、7月・8月、施餓鬼・お盆とたくさんの先祖供養があるこの時期に改めて思うことです。

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